暑い日だった。暑くない日がおそろしいことに、六月からなくなりつつあるものなのだが――三十階建てのタワーマンション、桜崎グランフォレストタワー近くにある、桜通り商店街も、すっかり夏の暑さに茹っている様子だった。朝と夕方の二回に打ち水をしてみて、気持ちばかり涼しくなってみるが、商店街の客も店主たちも、口をひらけば暑いねえ、が最初に飛び出してくる始末だ。
そんな桜通り商店街でも、古くから経営している喫茶店・レトロ館は、かき氷を求める客で賑わっていた。レトロ館のかき氷は、どっしりとしたガラスの器に、小ぶりに盛られた昔ながらのざくざくした氷が乗っている。氷の横にバニラアイスとうさちゃんりんごが一切れついているのが、若い子からかわいいとウケている。シロップはレモンのみだが、下手に選択肢が広くない分迷わずに選べるのも高ポイントだ。
桜崎グランフォレストタワー二十七階に引っ越してきた美鶴と仁科も、仕事が休みの日はこうしてこの喫茶店を訪れることが多かった。はじめこそ、いかにも絵本の中から出てきたようなお姫様と、ファンタジーゲームのラスボスのような体格の男に、商店街の人々やマンションの住人たちは遠巻きに見ていた。しかし、ふたりが悪人ではなく、むしろ大量に食材を購入してくれた(仁科は一回の食事で、成人男性の平均食事量の三倍を食べる)り、地域行事に積極的に参加してくれる存在であることから、すぐに近所の人々は彼らと打ち解けた。意外なことに、仁科にいたっては近所の小学生や幼稚園児に大人気だ。逆に美鶴は、ご婦人方から可愛がられているし、若いアルバイトの女の子たちや、学生たちから最近のトレンドを教えてもらったりしている。
土曜日のおやつどき、美鶴はいつものように仁科とレトロ館を訪れた。
「ああ、美鶴さんに仁科さん。いらっしゃい。窓際は暑いから、ちょっと奥に座るといいよ」
「ありがとう。貴臣さん、奥にしましょう?」
「はい」
ちなみにこのレトロ館には、ふたりが訪れるようになる一ヶ月前にアルバイトが二人増えた。それは言わずもがな、神鳥家の警備部門の人間である。美鶴と仁科が安全と安心(安全は仁科がいる時点で確保されているが)を確保して、ゆっくりと過ごせるようにという考えからだった。なお、このアルバイトスタッフとして参加したい人員は非常に多く、篩にかけるのが大変だったのだが――それはまた別の話。
美鶴と仁科は、ここのかき氷とツナサンドイッチを半分こするのが最近のお気に入りである。二人は席に着くと、アイスコーヒーとアイスレモンティー、そしてかき氷とツナサンドイッチをひとつずつ注文する。電動のかき氷機がうなりをあげて氷を削っていくのも、もう見慣れたものだ。美鶴は最初のうちは、目をキラキラさせてその光景を見つめていたものだから、店主は珍しいかい、と尋ねたものだ。
手早く準備された食品たちが、アルバイトの手によって運ばれる。これは神鳥家の警備部門スタッフが配膳をしたが、今日はひとりだけが出勤していたので、どことなく勝ち誇った顔で配膳された。もっとも、彼は静かに、丁寧に配膳したのちに、バックヤードに静かに移動し、心臓をおさえていたのだが。
届いたツナサンドイッチをふたりで半分こしてから、かき氷のスプーンを美鶴は握る。しゃく、と掬ったシロップのかかった氷を、まずは仁科の口元に運ぶ。運ばれた仁科は、少し固まってから差し出された氷を口に運ぶ。仁科の口に消えた氷を満足そうに見ていた美鶴は、空になったスプーンで氷をまた掬う。今度は自分の口に氷を運ぶ。きん、と冷たい感覚が脳に響く。
「冷たいねえ」
「冷たいですね。氷ですから」
「そうだね。ふふ、このシロップ、わたし、好きかも」
「そうですか」
「おうちで食べてた、くだもののシロップも好きだけど、こういうシロップもいいよねぇ」
「そうですね」
「……これって、おうちでも作れるのかしら……?」
美鶴は実家で食べた、白桃などのくだものを潤沢に使ったかき氷を思い出す。それらとは違う、チープで安っぽい味なのに、どことなく懐かしさを覚える甘い味。家で作れるのなら、作ってみたいかも、と美鶴は考える。かき氷自体は実家の料理人たちが作っていたから、なにかしらの機材があれば作れるのだろうが、シロップはどうしたらいいのだろう。そう彼女が考えていると、隣に座っていた新島夫人が声をかけてくる。
「あら、美鶴さん。かき氷のシロップなら、お店で売ってるわよぉ」
「え? そうなんですか?」
「ええ! いちごとか、ブルーハワイとか……いろいろあるわよ!」
「いちごに……ブルーハワイ? どんな味なんですか?」
「ブルーハワイは……どんな味なのかしら……青いシロップなのよ、うん」
マスター、ブルーハワイってどんな味だっけ。
そう新島夫人が喫茶店のマスターに声をかける。マスターこと青島は、ええ、と困り顔になりながらも、ブルーハワイはブルーハワイだよ、と答える。
「ラムネって言うか、ソーダって言うか……くだものっていうか……そもそも、かき氷のシロップって、ほとんど似たような味だしねえ」
「それはそうよねえ」
「そうなんですか?」
「そうよぉ。あ、でも最近駅のビルにできたような、おしゃれーなお店だと、桃まるごと一個! とか使った、贅沢なのあるじゃない。ああいうのはまた違うと思うけど……」
「桃……昔、夏の日によく実家で桃のかき氷や、メロンのかき氷は食べたことあります」
旬のくだものを使っていると、いっそうおいしく感じられて好きです。
にこにこ、と嫌みもなく美鶴がそういうと、新島夫人も青島マスターも驚いた顔をする。そんなことに気がつかない美鶴は、スマートフォンをもたもたと操作する。これです、と写真を見せる。
そこに映っていたのは、メロンを大胆にも器にして、上に果肉をごろごろと乗せたかき氷だった。こちらは崇征お兄さまの分ですけど……と言いながら、彼女は別の写真を見せる。それはマンゴーの果肉やシロップがたっぷりと乗ったかき氷だった。こちらはわたしのです、とにこにこしながら話す彼女に、新島夫人も青島マスターも小さなスマートフォンの画面を食い入るように見る。
「あらあらまあまあ……素敵ねえ……」
「こりゃあ、うちじゃ出せないなあ。材料が高いや」
「そうですか? でも、このお店のかき氷も、懐かしい味がして、わたしは大好きですよ」
「はは。そりゃいいや」
「美鶴様。アイスクリームが溶けそうですが」
「えっ! やだ、早く食べなきゃ!」
急いでいつもより少し大きめに掬った氷とバニラアイスを口に運んだ美鶴は、キン、と頭が一気に痛くなる。アイスクリーム頭痛だ。それを察した仁科は、氷よりはいくらかぬるいお冷やを渡し、ツナサンドイッチを差し出す。差し出されたお冷やを飲んで、美鶴はツナサンドイッチを頬張る。
頭痛くなっちゃった……と恥ずかしそうに笑う彼女に、私もかき氷をいただいても良いですか、と仁科は尋ねる。もちろんどうぞ、と美鶴がかき氷の器を差し出すと、仁科は丁寧にそれを受け取り、スプーンを軽くつかみあげる。仁科が一般流通しているカトラリーを利用するときは、普段の彼専用のカトラリーを持つときよりも数倍軽く持つように、彼は尽力している。普段のカトラリーを持つ力で握ろうものなら、カトラリーを破壊しかねないのだ。
仁科はゆっくり、静かにバニラのアイスクリームとかき氷を口に運ぶ。口内に温度の違う冷たさが広がり、彼は満足そうにおいしいですね、と呟く。おいしいよね、と美鶴もサンドイッチをぺろりと平らげて頷く。そんな二人に、マスターはそれなら良かったよ、と返事をする。
「美鶴さんの写真を見て思ったのだけど、季節のフルーツでお菓子を作って、それを提供するっていうのはいいかもしれないなあ」
「あら、素敵じゃない。季節のものっておいしいものねえ」
「ええ、新島さんの言うように、とってもいいと思います。ねえ、貴臣さん」
「ええ」
「貴臣さんも楽しみですって」
「あら、これはマスター張り切ってもらわないと」
ええ、困るなあ。
そう笑いながらもマスター青島は、秋になる前に花咲屋さんの旦那さんと相談してみるかな、と言うのだった。