三原色の群衆と飼い犬の散歩【コナンクロスオーバー】

 諸伏景光は渋谷八広(やひろ)という名前を与えられた。一応、社会的には死んだ人間であるから、適当な偽名を与えられたのだが――少しもじればハチ公とも言えなくはない名前、そして実際ハチと呼ばれたことに、景光は苦笑した。まあ、別に嫌いではなかったので頷いたのだけれど。
 こうして景光あらため八広は、渋谷にある乱数の事務所で雑務を担当するアルバイトスタッフの一人として雇われた。ちなみに家は夢野の家の空き部屋を間借りすることとなった。麻呂の食事をお願いしますのじゃ、とにこやかに言われたときは、家を探す手間が省けて良かったな、と左馬刻が笑っていたのを八広は覚えている。ともかく、八広はデザイナー事務所の雑用をこなしながら、時々あらゆるところで行き倒れかけている帝統を回収したり、きな臭い噂話を聞いたりして日々を過ごしていた。
 時々ラップバトル大会――世相には少々疎かった八広は知らなかったが、意外と人気コンテンツらしいそれに出ている乱数たちは、ファッションデザイナーとして以外でも有名だった。FlingPosseとして男女問わずフロアを盛り上げる彼らを、手伝いのスタッフとしてこっそりと見るのにもすっかり慣れてきた頃のことだった。動画投稿サイトの生放送の手伝いをしながら(時々ハチ飲み物、と呼ばれては、腕と飲み物です、と書いたフリップだけ出演する彼が、FlingPosseのファンから認知されていることを八広はしらない)そういえば、と乱数は八広から渡されたソーダを啜りながら呟く。コメント欄は滝のごとく流れているし、スーパーチャットも跳ね上がっている。

「今度、池袋のBusterBros!!!の三人とねー、TRPG? だっけ、やることになったんだよね」
「そうでおじゃー。三郎くんがゲームマスターで、クトゥルフ神話TRPGをプレイすることになりました」
「ついでに晩飯も一緒に食うことになったんだよな。で、何がいるんだっけ」
「必要なのは向こうが用意してくれてるらしいから、無一文でもいいって! よかったねー、帝統」
「おっしゃ! それなら安心して行けるな!」
「電車代は持って行くでありんすよ?」
「最悪歩いて行くから大丈夫だ!」

 録画して投稿するから楽しみにしててね、という乱数の言葉に、チャット欄は歓喜の声であふれかえる。凄いはやーい、ときゃらきゃら笑う乱数に、目が回りやんす、とくふくふ笑う幻太郎。帝統は目ざとくスーパーチャットを見つけてはコメント返信をしていた。ちょうど終了時刻になったのを八広が合図すると、えー、とふくれっ面をしつつも、いつものように〆の言葉で生配信を終える三人。画面が暗転して、音声も拾っていないことを確認してから、八広はお疲れ様です、と機材を片付け始める。
 大きくのびをしたり、飲み物を啜ったりしている三人だったが、そういや、と乱数が口を開く。

「ハチ、最近連勤してたし、息抜きにココ行っておいでよ!」
「え?」
「前にお仕事したところの会社が、ベルツリーでなんかイベント? やるらしくてさぁ。チケットもらったんだけど、興味ないんだよね」
「それって食い物出るのか?」
「んー……どうだろ。イベント会社からもらったから、出てもキッチンカーじゃない?」
「ちぇ。タダメシが食えるんだったら、俺が代わりに行ったのによ」

 乱数が見せてくれたチケットは、環境に優しいアート作品の展示に関するものだった。たしかにこれなら、食事の類いは出てもキッチンカーぐらいだろう。幻太郎も興味がないのか、ハチにあげます、と言うばかりだ。八広も別にアートに造詣が深いわけではないのだが、ここで断るような性格をしていないために受け取ってしまう。新宿のリーマンさんみたいに働きづめにしないからねウチは、と笑った乱数に、八広はまだ知らないつながりがありそうだな、と苦笑する。

 そうしてやってきた休みの日。八広は適当なシャツにチノパンを合わせて、ベルツリーに向かっていた。昼頃に向かって、ベルツリーに併設されているレストランで昼食を摂ろうという考えのもと、行動を起こしたのだが、どうやらそれはカレンダー通り休日である雑踏の人々も同じだったらしい。
 アート目当てなのか、観光なのかはさだかではないが、随分と賑やかなベルツリーで食事をとるのを諦めた八広は、帰りにファストフードでも食べよう、と考えを改める。展望フロアに向かうエレベーターに乗り込めば、あっという間に重力の負荷と一緒にエレベーターは上昇していく。ちん、と軽い音を立てて到着したエレベーターを降りると、そこにはアート作品が中央に飾られていた。もっとも、高層ビルよりもずっと高い展望フロアは、ガラス張りの壁に人々が集まっていて、アート作品はあまり見向きもされていなかったが。
 一応、アートを見ることが目的だった八広は、展示されている作品を一通り見る。現代アート、というものらしく、廃材で作られた造形物はよくわからない形をしていた。なるほどアート、という語彙力のない感想を抱いた彼は、ついでに覚えた尿意のためにトイレへ向かう。人気のないトイレは綺麗に清掃されていたが、手洗い場が濡れていた。
 手早く小便器で用を足していると、一番奥の個室だけが軽く扉が開いていることに気がつく。他のトイレは扉が閉まっているが、鍵がかかっていないことを示しているのだから、慌てて誰かが閉めたのだろう。そう思った八広は、手を洗ってから扉を閉めよう、と近づく。
 軽く覗いた個室には、トイレにふさわしい便座と、トイレットペーパーホルダーが置かれている。そして見慣れない黒い正方形の箱。大きさはそれほど大きくはないが、汚物入れにしては違和感を覚えるそれに、八広は警察官だった頃の勘でそっと近づく。よくよく見てみれば、天井部分は一部分がクリア素材でできていて、そこから見える中には、何かしらの配線が組まれている。明らかに不審物だ。
 爆発物だったらまずい、と考えた八広は、スマートフォンを取り出すと、躊躇いなく警察に通報する。事情と場所を説明した彼は、今はここに誰も立ち入れないようにするべきだ、と考える。ざっと周囲を見渡せば、掃除用具の入っていそうなロッカーがあり、開けてみれば案の定掃除道具や洗剤が詰められていた。清掃中、の看板をそこから引っ張り出すと、八広はそれを男子トイレの前に置く。少なくとも、一般良識のある人であれば、これを見ればここのトイレを使うことはないだろう。

「にしても、マジでこの街、爆弾とか多すぎるだろ……」

 八広は疲れたように壁にもたれかかる。先日はどこぞのマンションで爆発騒ぎがあった。爆弾は爆発したものの、死傷者はたまたま出なかったからよかったものの、なんとも物騒な話だ。さらには病院でも爆発物と思われる不審物が見つかって、警察が緊急出動したと言うではないか。これを物騒と言わずに、何を物騒と言うのだろうか。
 せっかくの休日なのに、とぶつぶつ文句を言っていると、にわかに展望フロアのほうが騒がしくなる。どうやら、警察が来たらしい。爆発物の処理を担当する彼らが真っ先に乗り込んできて――思わず八広は口をあんぐり開けてしまう。飛び込んできた男の方も、二人して驚いたように口を開けていた。真っ先に正気を取り戻した八広は二人の耳元で、今は渋谷八広を名乗っているから、と手早く告げる。彼らは何も聞かずにそれだけで了承してくれて、八広に爆発物と思われるものの場所を尋ねる。
 場所を手早く伝えると、通路の奥から子どもが飛び込んでくる。きりっとした表情で、どうやら事件の解決をしたいらしい子どもに、呆れた様子で八広はその体を持ち上げる。

「うわっ!? お、お兄さんおろしてよー!」
「だぁめだ! ここは警察のお兄さんたちに任せような」
「だ、だってボク、気になるよー!」

 媚を売るようなわざとらしい子どもの声色に気味の悪さを覚えながら、八広は通路を抜けて展望フロアに向かう。子どもの保護者を探そうと声を張るよりも早く、コナンくん、と少女が駆け寄ってくる。まだ高校生ぐらいだろうか、少女に手を離しちゃだめですよ、と小言を言いながら、八広はコナンと呼ばれた少年を返す。
 しばらく混乱とどよめきが展望フロア全体に広がっていたが、無事に爆発物と思われるそれを冷凍処理をしたらしい爆発物処理班が、それを運び出している。コナン少年の目がきらり、と光ったのに気がついた八広は、まだ少女から離れていなかったのを良いことに、コナン少年の首根っこを引っ掴んでおく。
 案の定、飛び出そうとしていた少年は、八広の腕で飛び出せなくなる。はなしてよお、ともがく少年に八広は、お巡りさんが対処してくれるから、と宥めすかしてみる。エレベーターから降りて行った処理班の面々を見送ってから、八広は少年の首根っこから手を離す。少年は苛立ちも隠さず八広を見上げてくるが、八広からすれば子どもが危険なことに自分から首を突っ込むことが理解できないために、その鋭い視線を受け流すだけだ。
 子どもの面倒って大変でしょうけど、ちゃんと危ないことは危ないって躾けないといけませんよ、と少女にもう一度注意する八広。言いすぎたか、と思ったが、少年が飛び出そうとしても、少女は握っていた手に力を入れていなかったのだから、このぐらいのお小言は仕方ないと甘んじてもらうべきだろう。はぁい、としょんぼりした少女を背に、八広は展望フロアを後にしようとエレベーターホールに向かう。スマートフォンでニュースサイトを確認すれば、速報で爆発物のニュースが流れていた。八広の見つけた不審物は、当然のように爆発物だったらしく、正しく処理された(人気のないところで爆発させた)と報じられたそれに、ほっと胸を撫で下ろす。
 到着したエレベーターで一階まで降りると、先ほど立ち去ったはずの二人の男性が八広に向かって手を振っている。苦笑しながら八広は二人の元に向かい、仕事しろよ、と肩をばん、と軽く叩く。

「いや、だって全然連絡つかないやつが、こんなところにいたら捕まえたくなるじゃん。なあ、松田」
「萩原の言う通りだぜ、渋谷さんよぉ」
「悪かったって。言えることはまた今度、時間を作って説明するからさ」
「そんとき、しっかりゲロってもらうからな」

 萩原と松田に連絡先教えろ、と言われて八広は仕方なしにスマートフォンを取り出す。取り出しついでにシャツに取り付けられた盗聴器を外すと、そのまま地面に落とす。何気ない動作で盗聴器を踏み潰しながら、八広は警察学校時代の友人たちと再び出会えたことに、内心喜んでいた。

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