素敵だと百回言いたい。似合いだと同じ数だけ言いたい。

 調月奈々美(つかつき・ななみ)は美少女である。
 誰がどう見たって、よっぽど性根がひねくれていなければ、彼女のことを美少女だと言うだろう。甘やかで華やかで少女的で、まだ女性になりきれていない顔立ちは、本人の明るい性格からころころと浮かべる表情を変えてくる。ほっそりとした手足には、余分な脂肪が一切乗っていなくて、細くて長い指先まではちみつを溶かした牛乳のように甘やかな白さだ。
 胸は人目を引くように大きいのに、それでいて頭の先から足の先までのバランスを崩さない、いびつなのに完成されたプロポーションだ。
 最近、そんな彼女に恋人ができたらしい。らしい、というのは、彼女が男性と出かけているのを目撃した人物はいるが、彼女に直接それを問いただした人物はいないからである。仕方ないことだろう。大学のアイドルとも言える彼女に、本当に恋人ができていたらきっと立ち直れない人が多い。彼女に関しては大学内の男たちの不文律がある。手出し無用。抜け駆け禁止。まあ、ようするに彼女を独り占めしてはいけない空気が蔓延しているのだ。
 黒曜石を削ったような黒い大きな目に、天使の輪が映える黒髪を腰まで伸ばした彼女は、今日も大学の講義を受けている。熱心にノートに書き込みをしており、生物系の授業が好きなんだなあ、と僕はちらちらと彼女を見ながらノートを取る。今日は高い位置でサイドの髪を結ったツインテールでかわいらしい。後ろの髪はそのままおろしているのが少女らしすぎない。
 講義が終わり、三々五々に散っていく学生たちのなかで、何人かの女子学生が彼女に声をかけている。隣の席にたまたま――たまたまだ。なにせ、この講義は人気があるから、隣の席に座れたというよりは、先に座っていた僕の隣しか講義の黒板が見えやすい位置がなかったから、彼女が消極的理由で座られたのだ。
 だからこそ聞こえた女子学生の気合の入った言葉にびっくりした。調月奈々美、合コン行っていたんだ。

「あ、あの人かあ」
「あのすっごい背の高いイケメンさん! ね、ね、送ってもらってたじゃん。どうだったの?」
「ふふーん。ライン交換したよ」
「えー! いいなあ。ねえ、紹介してよ」
「やだぁ。奈々美の彼氏になってくれたもん」
「え、マジ?」
「マジだよ? この間だって、一緒にお買い物デートしたし、今度おうちにも行く予定だよ」

 狙っていた男がいたらしい彼女は、眼の前の美少女に掻っ攫われたことにショックを受けつつも、奈々美とはお似合いになりそう、と言って祝福している。言葉だけかもしれないけれど。
 それよりも、僕は衝撃的な一言を聞いてしまって、眼の前が真っ暗になっていた。え、調月さん、彼氏できた噂は本当だったんだ、と。ずん、とつらい気持ちでいっぱいになりながら、話をよくよく聞いていると、年上で、顔が良くて、背が高い男の人らしい。勝てる要素が見つからない。
 ダメージを受ける僕などつゆ知らず、彼女たちは席を離れていく。話題はすっかり調月奈々美にできた恋人の話題一色で、これは遅かれ早かれ大学中に噂が真実だと広まりそうだ。

 そう、噂が広まるのはあっという間で、落胆する男たちで大学はいっぱいだった。それでもまだ彼女に手を出そうとしない人ばかりでよかった。凶行に及ぶひともいたかもしれないと思うと、ゾッとする思いだ。
 しばらくして噂も落ち着きだして、男たちの失恋の痛みも治りつつあった頃、僕は大学近くのショッピングモールに入っている本屋に足を伸ばしていた。予約していたコミックスの受け取りに来たついでに、フードコートでなにか食べて行こうと考えた僕は、目についた唐揚げ定食を注文する。
 注文した商品を受け取り、席を探している時のことだった。少し離れた観葉植物の隣のテーブル席に見慣れた人物がいるのが見える。
 見間違えようがなかった。それは調月奈々美だった。
 驚異的な絶世の美少女を見つけてしまった僕は、そのまま声をかけようか悩む。一人で座っている彼女だが、向かいの座席には彼女のものではないだろうスマートフォンと(なにせ、彼女は自分のスマートフォンを触っていた)シンプルな黒のメッセンジャーバッグが引っかかっていたからだ。
 連れがいるのなら話しかけにくいな、と思っていると、のっそりとやたら背の高い褐色肌の男が、両手にトレイを二つ抱えて歩いてくる。何かを探すように歩いていた男は、目当ての人物を見つけたらしく迷いのない足取りで歩いていく。
 僕を追い越して歩いていく男の先には調月奈々美の席があった。彼女は男に気がつくと、スマートフォンをテーブルに置いて腕を伸ばして手を振っている。満面の笑顔で手を振る彼女を見て、あの男が恋人なのだと理解させられた。
 彼女の前にひとつトレイを置いて、男はメッセンジャーバッグがかかっている席の前にもトレイを置く。椅子を引いて座った男は、手を合わせてから食事を始める。調月奈々美も同じように食べ始める。
 ちらりと見えた顔立ちは、イケメンというよりは美男子とかそういう顔立ちで、横を通り過ぎた時に香ったのはきっと香水だろう。爽やかさや華やかさではない、オリエンタルというのか、不思議な香りをかすかに残していくのがなんともおしゃれだった。
 背が高いし、おしゃれだし、これで年上ということは、社会人で経済的にも安定しているということだ。これは大学生相手では勝ち目がない恋人だな、と思いながら、僕は空いた席に滑り込んで唐揚げ定食を食べ始めるのだった。
 熱々の唐揚げの味は、よくわからなかった。

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