冬と新年と実家の話

 奈々美はもふもふのファーのついたダウンコートに埋まるようにして外にいた。真っ白なファーコートの裾からは、ネイビーカラーのワンピースのスカートが見えている。厚手の黒いタイツにつつまれた足には、白いショートブーツが眩しい。もふもふのニットの手袋で完全防寒の彼女は、隣に立つ男を見上げて、寒くないの、と尋ねている。

「そこまで寒くはないな。風がなければ暖かいぐらいじゃないか?」
「えー? 奈々美はちょっと寒いかも。ダウン一枚じゃ無理無理って感じ」
「奈々美は寒がりだな」
「鷹山くんが寒いのに強すぎるだけじゃないかな!?」

 鷹山、と呼ばれた男は、ベージュカラーのダウンジャケットに素手だ。履いているパンツこそ、本人曰く裏起毛らしいが、奈々美からすればセーター一枚にダウンジャケットというのが信じられないらしい。ちなみに、奈々美はワンピースの上にセーターを着ている。
 ふたりは陸上の実家がある東京に着ていた。彼の実家への挨拶は、今日の初詣の後に行こうという話になっている。昨晩チェックインしたホテルの近くにあるという小さな神社には、近隣住人が押し寄せていた。いくらかの割合でホテルの滞在客もいるかもしれないが――随分とお参りを済ませるまでに時間がかかったものだ。
 おみくじを引いた奈々美が、末吉だったが恋愛運がよかったことに満足そうなものだから、陸上はよかったな、というばかりだ。彼がおみくじに書かれている和歌の内容と、吉凶は関係がないとかいう大学時代に聞いた話を思い出していると、奈々美はそろそろ行くか、と尋ねてくる。

「ん?」
「鷹山くんのおうちだよ! ほら、ちゃんとご挨拶しようね、って話したじゃん」
「あー……ああ。そうだったな」
「……あんまりノリ気じゃない感じ? やめておく?」
「気乗りはしないが……後回しにするのもな」
「へへ、鷹山くんのそういうところ、凄く可愛くて好きだよ!」
「かわいいのか?」
「うん」

 奈々美のかわいいポイントはわからないな、と首を傾げる陸上に、彼女は目を細めて笑う。
 一度ホテルに戻り、荷物を持ってチェックアウトを済ませる。陸上がパーキングから車を出すと、奈々美が荷物を後部座席に乗せる。助手席に彼女が座ってシートベルトを着用したのを確認してから、陸上は車を走らせる。大通りに出ると、奈々美は初売りも行きたいなあ、と口に出す。渋谷までいくか、と陸上がいえば、原宿も捨てがたいなあ、と奈々美は難しそうな顔をする。
 陸上には、原宿も渋谷も若者の街、というイメージしかないのだが、奈々美のなかではさらに細かく分類されているのだろう。あたしの好きな服のジャンル的には原宿のほうがありそうだけど、と難しい顔をしている彼女に、両方行けばいいだろう、と陸上は提案する。

「両方行きたいのは山々なんだけど、お金の問題がね……」
「ああ、大学生に付きまとう問題だな」
「欲しいものは厳選しないと……福袋とか、初売りって見ちゃうとついつい買いすぎちゃうから……」
「まあ、福袋は値打ち品が入っているからな……食品系以外だと、当たり外れは大きそうだが」
「そうなんだよねぇ。好みじゃない服が入っていたら、って思うとなかなか買いにくいんだよね」

 でもお値段が優しいからなあ、と難しそうな顔をしている奈々美に、本当にファッションが好きなのだな、と陸上は思う。彼からすれば、清潔で体にあったものであれば、デザインにそこまでこだわりがないものだから、奈々美の自分をよく見せるための悩みには乗ってやれないのだ。それでも、適当な相槌をしないのが彼であるので、奈々美は彼を誘ってどっちが好きか、と服を買いに行くのだが――閑話休題。
 そんな話をしながら、車は進んでいく。住宅街に入っていった車の窓から見える家々は、都心にあるというのに十分にガーデニングが楽しめそうな庭がある。奈々美の住む名古屋のベッドタウンのような場所ではないから、庭付き一戸建てはなかなかに金がかかっているはずだ。

「……お金がありそうなお家だね」
「この辺りはそうでもないな」
「そうなの!?」
「もう少し行くと金のある家だな」
「ふええ……都心の庭付き一戸建てのお値段、調べないようにするね……」
「そこまでか?」
「だんだん心臓に悪くなってきたよ!」
「そうか。やめておくか?」
「行くけど!」

 ここまできて引き返すのはやだ!
 そう元気に言い切った彼女に、陸上は喉で笑う。彼の言ったように、車が進む先はいわゆる高級住宅街だった。一見すれば普通の家で、見えるところに警備会社のシールなどは見当たらない。それこそがここが高級住宅街なのだ、と知らしめているようだった。
 住宅街を抜けると、綺麗な塀が見えてくる。しばらく塀沿いに車を走らせていた陸上は、一度車を停車させる。そこにはちょうど、塀と同じ色のシャッターが下ろされていた。備え付けのインターフォンを鳴らした彼は、一言二言何事か話してから車に戻ってくる。シャッターが開く。完全に開いたシャッターの向こう側に車を移動させると、そこはガレージだった。随分と立派で、広々とした空間のガレージに、奈々美は広いなあ、とありきたりな感情を抱く。そんな間にも陸上は空いているスペースに車を駐車する。

「ついたぞ」
「ガレージがまず凄く大きいね?」
「そこか。まあ……そうだな」
「おうちはもっと大きい?」
「まあ……それなりに大きい方なんじゃないか?」
「ひゃー……想像つかないや」
「やっぱり帰るか?」
「鷹山くん、楽しんでるでしょ!」

 ちゃんとご挨拶するもん!
 いーっ、とやる気満々にしている奈々美に、陸上は苦笑する。どうにも譲るつもりのない彼女に、乗り気ではなかった陸上も腹をくくるしかない。別に両親が納得しなくても、という気持ちすら芽生えてきた彼は、奈々美の手を引いてガレージから出る。扉を開けた先には、手入れのされた庭が広がっていた。冬の庭そのものの庭園に、奈々美は思わず庭師さんとかいそうだね、と引き攣った笑顔を浮かべる。そんな彼女に、毎月馴染みの業者を入れていたな、と陸上が思い出したように言うものだから、奈々美はやっぱり、と呆れたように笑ってしまう。
 綺麗な庭を見ながら、あとで写真撮りたいな、という彼女に、撮ってもいいぞ、と陸上は言ってやる。それでもスマートフォンを取り出さない彼女は、ちゃんとご挨拶してからだよ、と言う。

「鷹山くんのお父さんとお母さんにご挨拶して、お庭撮ってもいいですか、って聞いてから!」
「……ちゃんとしているな」
「ちゃんとしなきゃいけない場所だもん」

 奈々美だってわかるよ、そのぐらい。いつもより大人びた微笑みを浮かべる彼女に、自分と十ほど歳の差があるとは思えなくなる陸上。彼に合わせて背伸びをしたり、等身大のままだったりする彼女を見てきた彼は、案外これなら両親に好かれるかもしれないな、と安心する。
 綺麗な黒の焼杉の壁材を使った家が見えてくると、繋いだ手をどちらからともなく離す。陸上はインターフォンを押すと、すぐに扉が開かれる。おかえりなさいませ、と頭を下げた女性に、ああ、とだけ返事をした陸上と、お邪魔します、と奈々美はぺこりと頭を下げて室内に入る。奈々美をちら、とだけみた女性は、二人が靴を脱いで廊下を歩いていくのを確認してから扉を閉めた。
 陸上が先導して廊下を歩く。廊下ですら寒くないのだから、しっかりと暖房設備があるんだなあ、と奈々美はのんびりと考える。緊張も、行き着くところまできたら、もはや解れたも同然だ。
 廊下の先のドアをノックしてから、陸上はお邪魔します、と声をかけて中に入る。奈々美もそれにならって、お邪魔します、と声をかけてから続いていく。そこにいたのは陸上よりもいくらか年嵩の男性と女性、老人に片足を入れたくらいの年齢の男女だった。奈々美よりすこし若い女性もいるのは、おそらく陸上の兄か姉の子どもなのだろう。ローテーブルを囲むようにソファーに腰掛けている彼らに、陸上は斜め後ろに立っていた奈々美の肩を抱いてみせる。

「この子が奈々美だ。俺の恋人だ」
「!? は、はじめまして! 調月奈々美です!」

 ただいま、やら新年の挨拶やらをすっ飛ばして、奈々美を家族に紹介する陸上に、奈々美のほうが動揺する。名前を名乗り、勢いよく頭を下げた奈々美を、ソファーに座っている彼らはじ、と観察する。すぐに頭を上げない奈々美は、その視線に何か粗相でもしたか、と頭を下げたまま青くなる。おずおずと頭を上げて、視線の方を見れば、興味深そうに見ている視線と、胡乱げな視線が入り混じっている。

「鷹山。この子は随分若いように見えるが、今いくつなんだ」
「二十歳だったか。大学生だ」
「あら、あなた随分若い子に手を出したのね。悪い女にひっかかったようには見えないけれど」
「姉さん、むしろ俺の方が悪い男になった気分だ」
「あら、だ、そうよ。史堂」

 あなたが危惧していたような女には見えないわよ。
 そう陸上が姉、と呼んだ女性が隣に座る史堂(しどう)と呼んだ男に声をかけている。年配の男性はその間も、じ、と奈々美を見ている。その眼力の強さに、思わず奈々美はたたらを踏みそうになりつつも、恐る恐る見返す。二人がそうしてると、先に相好を崩したのは男の方だった。

「若いのに実に胆力のあるお嬢さんのようだ」
「奈々美はそういうところ、ありますね」
「どんなお嬢さんかと思えば……家を狙ってのことではなさそうでなによりだ」
「奈々美はそんなこと考えていませんよ。なあ、奈々美」
「え!? あたし、鷹山くんの顔がいいことと、お料理が美味しいことしかしらないよ!?」
「だ、そうです」
「はっは、なるほど。たしかに、こいつは爺さんに似て顔はいいからな」

 大きく笑った年配の男性は、座るといい、と奈々美に空いているソファーを勧める。父さんが認めたなら、と史堂と呼ばれた男もしかたなさそうな素振りをする。くすくす、と笑いながら、充希(みつき)と名乗った女性が奈々美の隣に移動してくる。長く美しく伸ばされた黒髪を、綺麗に束ねた彼女は、赤いリップをした唇を笑みに歪ませながら、鷹山が悪い男になっちゃうぐらい可愛い子ね、と奈々美の顔に指を這わせる。

「姉さん、奈々美は純粋なので、そういうたぶらかしをするのはちょっと」
「あら、ますます可愛いわ。ねえ、奈々美ちゃん、この子じゃなくて、わたくしにしない?」
「え!? えーっと……奈々美は鷹山くんのご飯が大好きなので……」
「あら、あなた料理でこの子を捕まえるだなんてずるいじゃない」
「胃から抑えておくのは恋愛の常道ですよ、姉さん」

 奈々美をはさんでそんなやりとりをしている姉弟に、奈々美は助けを求めるように視線を彷徨わせる。その様子を見ていた史堂が、こほん、と咳払いをする。

「彼女が困っているだろう、充希」
「あら、こんなにうぶな子、久しぶりに見たものだから、つい。ごめんなさいね、お姉さんのこと、嫌いにならないでちょうだい?」
「え!? あ、はい! 鷹山くんのお姉さんを嫌いになる理由がないですよ!」
「あらあら、恋人の姉でも嫌いになっていいのよ」
「ええ!? えーっと……奈々美は嫌いになるべきなのか、すごく悩む発言されちゃったな……!」
「姉さん、奈々美で遊ぶのはそこまでにしてください」
「充希、彼女が困っている」
「はいはい。史堂も鷹山もつまらないわ」

 奈々美の頬を撫でてから、充希は最初に腰掛けていたソファーに移動し直す。凄いお姉さんだね、と陸上の耳元で奈々美が呟くと、揶揄うのが好きな人でな、と陸上は返事をする。
 あ、と声を上げてから、奈々美が鷹山くん、と声をかける。それに陸上は今気がついた、と言わんばかりにソファーの背後に置いていたカバンから紙箱を取り出す。

「奈々美が手土産を持っていく、と言って聞かなくてな」
「だって、鷹山くんのおうちにご挨拶するんだもん。ちゃんとしなきゃ!」
「だ、そうだ」
「あら、これ、わたくしテレビで見たわ。話題のお菓子じゃない」

 箱をあけて、中をまじまじと見ている充希と、父親が呼びつけていたらしい女性が、紅茶を人数分配膳する。彼女は最初、玄関を開けてくれた女性だったな、と奈々美が思い出しているうちに、彼女はキッチンへと消えていってしまう。
 それではいただこう、と父親の声を合図に、静かに茶会が始まるのだった。

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