あれから諸伏景光こと渋谷八広は、松田陣平と萩原研二と連絡をしばしば取っていた。直接会って近況を伝えるにあたって、二人の都合がつく日、そして呼ばれなかったら悲しむだろう、と言うことで伊達航も呼んで、新宿にある個室の居酒屋に集まることになった。
現状フリーターで時間に余裕が作りやすい八広が真っ先に店に乗り込み、予約を入れた萩原の名前を伝える。奥まった席に案内され、お通しの無限キャベツをぱりぱりと頬張りながら、何を頼もうかとメニューをタッチパネルで開いていた。レモンサワーにするか、ハイボールにするか、やっぱり仕事終わりだからビールもいいよな、と考えていると、個室に人が通される。どうやら、三人とも一緒の時間帯に退勤できたらしく、連れ立って個室に入ってくる。
どっかりと八広の隣に座った研二は、しれっとタブレットを覗き込む。
「まずはビールでしょ! 陣平ちゃんたちもビールでいい?」
「おう」
「あ、あと枝豆」
「あ、ごめん、キャベツめっちゃ食ってたわ。キャベツも追加しよう」
あれよあれよとタッチパネルで注文がされる。通された料理を前に、男たちはビールジョッキを手に乾杯、と言う。
「いやさあ、マジ名前変えてるってことは……なんかあるんだろうけど、連絡がついて良かったよ。降谷は連絡つかないしさあ」
「はは……でも、全員が死にかけてたとか、聞いてないぞ、俺」
「ハギは自業自得って感じもあるよな。ちゃんと装備は身につけとけよ」
「あれからちゃんと着てますー。いや、ほんと、あの時はホストのお兄さんとリーマンさんに感謝しかないっていうか。隣の部屋で爆睡してて動かないリーマンさんを、ホストのお兄さんと二人がかりで動かしてなかったら、マジで死んでたもんな」
「俺だってラジオで気をつけろって言われてなかったら、交通事故で死んでたかもしれないしな」
「なんだっけ、そのラジオ」
「BusterBros!!!だな。池袋のラップチームのラジオだな。ナタリーが好きで、たまたまそこのラジオにメール出したら読まれたんだよ」
「班長がプロポーズするので応援してください、ってメール。八広知らねえだろ」
「聞いてない聞いてない」
陣平の発言に、枝豆を口に運んでいた八広は手を左右に振って返事をする。
「そういう時は知らないうちに気分が高ぶってるから、周囲をちゃんと見たほうがいい、ってアドバイスされてさ。実際、高木に指輪を見せたときに落としかけたし、直後に居眠り運転の車は眼の前に突っ込んでくるし。あのアドバイスがなかったら死んでたな」
「真面目に死にかけてて、笑えないんだよな。でも、俺も爆発騒ぎの時に知り合ったホストとリーマンさんのチーム推してるしな」
「ああ、麻天狼な。俺も病院に爆弾仕掛けられたときから推してる」
「三人は麻天狼とバスブロ推してるのか。俺はポッセ、あとMTC」
「ポッセもいいよなー。MTCのアウトローなところも好きだわ」
「MTCってさ……」
陣平と航が難しい顔をする。それもそうだろう。広域指定暴力団として警察では名の知られた火貂組、その若頭と同じ名前と顔の男がリーダーなのだから。ましてや、チームを組んでいるのは、彼ら四人と同期の入間銃兎だ。入間は現在横浜に移動しているが、警察学校の時から、彼を怒らせると報復が怖い、という噂だけは四人とも聞いていた。入間は彼らとは別の人間と仲が良かった――というよりは、まるでコネクションを作るように人脈を広げていたのを、八広はぼんやりと思い出す。
ヤクザ、元軍人、警官とアウトローどころかややアングラそのものなチームを、警察官が応援するというのは中々ないだろう。八広も苦笑しつつ、一応世間的には警備会社の社員だからさ、と言う。
そう、問題の碧棺左馬刻は一応、対外的には警備会社の社員なのだ。噂に聞くところだと、チームメイトの毒島メイソン理鶯の軍人時代の上司が立ち上げた会社らしく、理鶯本人も所属しているらしい。業績も右肩上がりだが、裏では言いにくい仕事もこなしている――というのは、かつて風見から聞いた話だ。
「まあ、なんにせよみんな無事に再会できてなにより、ってことで!」
「だな。あ、おいハギ、それ俺が頼んだやつだろ」
「ええ? いいじゃん陣平ちゃん、二つあるんだからさあ」
「聞いてくれよ、この間のベルツリーの話」
「あー、あのちびっこ探偵だろ?」
研二は八広と再会した爆発物騒ぎのことを思い出したのか、苦々しい顔をする。陣平も急にビールが不味くなった顔をするものだから、航だけがどうかしたのかと尋ねる。
ほら三係がよく頼ってる外部の、と陣平が言えば、あー、と航も苦虫を噛み潰したような顔をする。
「あのちびっこ探偵だろ」
「たぶんそのちびっこ探偵だな。爆発物があったトイレに駆け込もうとしてた」
「あれ、本当に危ないから辞めてほしいんだよな。毛利探偵は気がついたら引き剥がしてくれはするんだが、それでも食いついてくるんだから、薄気味悪いったらないぜ」
「あれ、小学校低学年くらいだろ? そんなくらいの子どもが、どういう育て方されたら事件に首を突っ込むんだ?」
「さあな。……そういや、俺は見たことがないんだが、三係が言うには、安室っていう毛利探偵の助手も一緒になって捜査してるらしいんだよな」
「おいおい。止める大人は毛利探偵だけかよ」
呆れたようにため息をつきながら、八広は細切りのフライドポテトを口に運ぶ。世も末だな、とぼやく彼に、全くだな、と頷く陣平と航。
それはそうとさ、と話題を切り替えるように明るい声で研二が口を開く。
「八広、今デザイナーの事務所で働いてるんだろ? 服? ウェブ?」
「服だな。ほら、EmptyCandyってブランド、知ってるか? 若い女の子向けのデザインが多いんだけど、あれ作ってる人のところで世話になってる」
「知らねえな。班長はどうだ?」
「あー……ナタリーに前、そこのアクセサリープレゼントしたことあるな。DRBシリーズのイケブクロデザインの」
「前の彼女がそのブランド大好きだったな。全身固めてたわ」
それぞれの反応に八広は笑ってしまう。女性向けブランドだということもあって、購買層も知名度も女性の方が圧倒的なのは知っていたが、こうも反応が別れるとは思っていなかった。
「DRBシリーズ、意外と年齢層高めでもいけなくはないんだよな。シンジュクとかヨコハマとかは、普段狙ってないターゲット層も狙ってる、って乱数さん言ってたし」
「そうなんだ? いや、母さんの誕生日近いから、それにしようかな。社割とかあんの?」
「残念だったな、萩原。ねーんだわ」
「マジか」
渋谷の直販店見に行くかぁ、と研二はぐいっとレモンサワーを煽る。ふーん、と興味もなさそうな陣平は、追加の注文をするためにタッチパネルに手を伸ばす。
班長の式に行けなくてごめんな、と謝った八広に、プレゼントは届いたから気にするなよ、と航は豪快に笑って、陣平にレモンサワー追加してくれ、と注文をするのだった。
四人がめいめい飲んで騒いで楽しんで、会計を済ませる。店の外に出ると随分と風は生ぬるいが、アルコールで火照った顔にはちょうどよかった。駅に向かって歩いていると、くたびれたスーツ姿の青年がのそのそと歩いている。赤茶けた髪に、ところどころ緑がかった色が入ったカラーリング。その青年に覚えがあった研二は、観音坂さーん、と声をかける。
声をかけられた方は、びくっ、としてから、恐る恐ると言った様子で振り返る。長い前髪で隠された顔だったが、よくよく見れば整った顔立ちだ。観音坂と呼ばれた彼は、萩原さん、と知り合いだったことに安堵した様子で頭を下げてくる。
「観音坂さん、仕事帰りか? あ、そういや班長と八広ははじめましてだったよな。飲んでる時に言ってた、爆弾事件の時の命の恩人」
「いや、俺は爆睡して迷惑かけていただけで……観音坂独歩です。新宿で医療機器メーカーの営業をしています」
「伊達航だ。萩原とは警察学校の時からの知り合いだ」
「渋谷八広です」
「渋谷……あ、もしかして飴村さんが新しく雇ったっていう……」
独歩は思い当たる節があったのか、ぽつりとつぶやく。その言葉を拾って、前に乱数が言っていた社畜リーマンってこのひとのことか、と八広は苦笑いする。見るからにくたびれた背広。疲れてます、と言わんばかりの顔色。これはまごうことなき社畜だろう。
乱数さんにはお世話になっています、と八広が頭を下げると、こちらこそお世話になっています、と独歩も頭を下げる。そんな二人を見て、研二は知り合いの知り合いに知り合いがいたのははじめてだわ、とぼやくのだった。