アンバーカラーに愛を寄せて

 調月絢瀬はボディケア用品を見ていた。行きつけのドラッグストアで十五パーセントオフクーポンがスマートフォンアプリに配信された、という告知を見て、そういえばボディクリームがなくなりそうだったということを思い出した彼女は、仕事帰りに立ち寄ることにしたのだ。
 仕事帰りに立ち寄ったドラッグストアは、絢瀬と似たような人がそれなりの数いた。割引クーポンに釣られて、あれもこれもと買っている婦人を見ては、気持ちはわかる、と絢瀬は思う。十五パーセントオフのクーポンと一緒に、会員限定の全品五パーセントオフのクーポンも配信されていたのだ。ここぞとばかりに大きなトイレットペーパーや、ティッシュペーパーを買いたくなる気持ちはよくわかる。そう思いつつも、彼女はこれから電車とバスに揺られるものだから、あまり大きな買い物はできないのだけれど。

 (買うのはハンドクリームと……あとは、ボディクリームだけでいいかしら……あら)

 べたつかず、すぐにさらりと肌に馴染む、少し高めのハンドクリーム。そして、愛用している伸びのいいボディクリームをカゴに入れた彼女は、ふと通路に飾ってある商品に目がいく。視線誘導の上手い店だな、と思いつつ、彼女が通路側に飾ってある商品を見れば、そこはネイルケア用品のコーナーだった。
 ネイルポリッシュとよばれるそれらを見ながら、こういうのは塗り直すのが大変なのよね、と思いながら絢瀬はそれらを見る。前にヴィンチェンツォが太くも器用に動く指先で塗ってくれた爪は、トップコートをしていても数日で禿げ始めてしまったのを思い出す。その後も彼は、小さなネイルポリッシュの瓶を使い切るまで、彼女の足先を明るい青緑色で染め続けていたのだが――それは別の話として。
 手の指先なんて、足の指よりも余程動かしているし、意図せずぶつけたり擦ってしまうことが多い。普通のネイルポリッシュでは数日で同じように禿げてしまうだろう。ネイルケア専門店でしてもらうジェルネイルは持ちがいいわよ、と同僚の叶渚の言葉を思い出しつつ、絢瀬はネイル用品を見比べる。わざわざ毎月ネイルケアのために店に行くのも億劫だな、と思いながら、彼女は陳列されているネイル用品をみる。いくつか見比べていると、ジェルネイルに使用されている成分が入っているものがあるらしく、落ちにくく一分で乾燥する、とポップが貼られている。
 そのジェルネイル成分いりのネイルポリッシュは相応に値段がするものの、ネイルチップに飾られているカラーのラインナップは目を引くカラフルなものから、少しくすみがかった、オフィスカジュアルにも似合うカラーまで幅広く取り揃えられている。いくつかを見比べ、絢瀬はグレーが買ったベージュ色に、うっすらとラメが入った小さな小瓶を手に取る。ポップに記載されている金額は、ハンドクリームと同等の金額で、いささか懐に厳しい――爪を装飾するだけにこんなに金額がかかるのか、と絢瀬は少し驚いた。ネイルポリッシュカラーと、トップコートの二つを買えば、なかなか趣味での出費としては良い金額になる。
 買ったところで、と思いつつも、絢瀬はいつぞや彼女自身の足の爪を丁寧に塗る恋人の姿を思い描く。太く逞しい指先が、塗り残しを作らないように、ムラなく塗ることができるように、丁重に乾燥しているかを確認して二度塗りをしてトップコートをつけるまでの作業は、くすぐったかった。まるで自分が絵本の中のお姫様になったような気分だったのを思い出しながら、ヴィンスに手も綺麗に塗ってもらおう、と彼女はカゴにネイルを二つ入れると精算カウンターに向かうのだった

 *

「おかえり、アヤセ。今日は買い物でもしてきたのかい?」
「ただいま、ヴィンス。ええ、少しね。ハンドクリームを切らしてしまいそうだったし、ボディクリームもなくなりそうだったのを思い出したものだから」
「おっと、そういえば私もハンドクリームはなくなりそうだったんだ」
「あら、そうだったの。言ってくれれば一緒に買ってきたのに」
「ふふ。嬉しい申し出だけど、それはデートの口実用にしようかなって」
「まったく……あなたったら、すぐにデートに結びつけるんだから」
「いいじゃないか。君と出かけるのが何よりも好きなんだよ、私は」

 くすくす笑いながら、ヴィンチェンツォはキッチンのオーブンから耐熱皿を取り出す。取り出した一枚の大きな耐熱皿の中には、あつあつにとろけ、焦げ目のついたチーズが乗っている。それを見た絢瀬が、グラタンなのかしら、と尋ねると、彼はラザニアだよ、と返事をする。大根とごぼうが浮いている鍋を見ている絢瀬に、ヴィンチェンツォはそっちはミネストローネだよ、と答える。

「ミネストローネにしては随分と和風ね。一瞬、豚汁でも作るのかしらと思ったわよ」
「豚汁はまた今度ね。今日も寒かったじゃないか。だから、芯から温まりそうなものにしたんだ」
「そういうことだったのね」
「そういうことさ。ごぼうとれんこんと大根と……あとはウィンナーが入っているよ」
「具がたくさんだわ。食べ切れるかしら」
「大丈夫さ」

 そもそも、アヤセは食が細すぎるんだよ。そうヴィンチェンツォはぶす、っと膨れっつらになる。髭面の、ソフトモヒカン風にしている二メートルを超える大柄な体躯――しかも両腕に刺青が入っている彼が行うと違和感のある姿だ。しかし、そんな姿ですら絢瀬は可愛いらしく、くすくすと笑っている。笑いながら、あなたのせいで体重が増えて困っているのよ、と彼女が言えば、私からすればまだまだだよ、とヴィンチェンツォはスープ皿にミネストローネを注いでいく。たしかに鍋から香る香りは、豚汁のそれとは違って、コンソメなどの西洋風の香りが強い。
 なみなみと具材とスープが注がれた皿を受け取り、絢瀬はテーブルに運んでいく。耐熱皿をコルク材でできた鍋しきの上に置いたヴィンチェンツォに、絢瀬は食後にお願いがあるんだけれど、と口を開く。ミトンを外しながら、ヴィンチェンツォはどうしたんだい、と口を開く。

「そんなに改まって言われなくても、君のお願いなら、なんだって私は聞くけれどね?」
「たいしたことじゃないのよ」

 そういうと、絢瀬は帰ってきたまま、テレビ前のローテーブルに放ってあった自分の鞄を手に取る。中を少し漁ってから、彼女は二つのパッケージも開いていない小さなボトルを取り出す。その様子を見ていたヴィンチェンツォは、おや、と口を開く。

「ネイルかい?」
「ええ。塗って欲しいんだけど、いいかしら」
「もちろんだとも。どっちの指だい?」
「手がいいわね。このぐらいの色味なら、職場でもなにも言われないと思うの」
「へえ……たしかにシックでいい色合いだね」

 流行りのくすみグレージュか。そう呟きながら、ヴィンチェンツォは小瓶をローテーブルの上に置く。
 まずは食事にしようよ、と彼が言えば、そうね、と絢瀬も頷く。二人が向かい合ってダイニングテーブルにつくと、いただきます、と食前の挨拶をした。

  • URLをコピーしました!