1-3最終検査

 翌朝。自宅のよりも数倍質の良いベッドのおかげで、昨晩はしっかりぐっすり眠れた俺こと水瀬智紀は、休憩室で朝食を食べていた。なんと休憩室にあるとは思えないほど、しっかりとしたキッチンスペースがあった。ご自由にどうぞ、と書かれたスペースにあった六枚切り食パンから二つパンを取り、食パン二枚並べられるトースターに並べる。軽く焦げ目がつくまで焼けるように設定しながら、カップに牛乳を注ぐ。本当はベーコンと卵を焼きたいところなのだが、冷蔵庫のものは勝手に使っていいのかが分からなかったから辞めておいた。
 ちん、と軽快な音を立ててパンが焼けたところで、紙皿に出来上がったばかりの熱々のトーストを置く。牛乳の入ったカップと一緒に、ソファーのあるテーブルまで運び、いただきます、と食前の挨拶をして食べ始める。バターもマーガリンもつけてないのに、めちゃくちゃうまいトーストを半分ほど食べ終えた頃、仮眠室に通じる扉から一人の男性が出てくる。無精髭が生えた中年に差し掛かったくらいの男は、大きなあくびと一緒にキッチンスペースに歩いていく。よれよれになった、制服らしいダークブルーの服の背中には、特殊急襲部隊、と書かれている。ここはそういう部隊の施設、なのだろうか。聞いたことがないけれど。
 男はキッチンスペースでごそごそと何かを漁っていたかと思うと、食パンを一枚そのまま齧りながら、冷蔵庫から大きなヨーグルトのパックを取り出す。その中に蜂蜜をドバッと入れた彼は、カレー用のスプーンを容器に差し込んでソファーに向かって歩いてくる。そっとスペースを譲ると、男は俺に気がついたらしく、新顔かァ、と尋ねてくる。

「新顔?」
「……んあ? あー、なんだ。お前、あれか。検査中のやつか」
「ええっと……話が見えないんですが……」
「あー、ほれ、あれだ。黒っぽい箱触らされたり、運動させられたり、脳波測定したりしたろ」
「あ、しました!」
「そうかそうか。ここで朝を迎えてる奴ァ、だいたい新入りになることが多いからよォ」

 ビビ坊のおかげで、万年人員不足がちったァマシになったんだわ。
 蜂蜜たっぷりのヨーグルトと食パンを咀嚼しながら、無精髭の男・服部さんは眠そうに目を半分閉じたままボヤく。俺に話は見えてこないが、どうやら服部と名乗った男には分かることらしい。ビビ坊、とは誰のことを指しているのかだけは分からないが、若い職員のことだろう。坊、がつくぐらいだから、相当若いのだろう。
 ヨーグルトで食パンを流し込んだ服部は、俺ァ詳しいことは言えねえけどよ、と前置きをして口を開く。

「まあ、万年人員不足だし、クソほど忙しい職場だけどヨ、悪ィ職場じゃねえのは確かだなァ」
「そう、なんですか?」
「おおともよォ。やりがいだけはあるぜェ。ほら、ガキんときに憧れるだろ。特撮のヒーローモンって」

 あんな職場だよ。
 そうからから笑った服部さんは、空になったヨーグルトの容器にスプーンを差し込んだかと思うと、おもむろに立ち上がる。シンクで洗うのだろう、鼻歌まじりに向かっていった彼の背を見ながら、なんのことだろうかと俺は首を傾げる。俺の所属は自衛隊で、この施設の人間ではないというのに――まるでこの施設に所属するのが見えているかのような口ぶりだった。というか、子供の頃に憧れる職場ってなんだ。そんな悪の組織なんて、この平和な法治国家にあるわけがないのだ。どこぞの少年探偵ものでもない限り。
 服部さんがだらだらとした足取りで立ち去った後、しばらく俺は持て余した時間を潰すために適当な漫画を読み始める。ずっと昔から連載しているご長寿漫画の七巻を一冊読み終えた頃、昨日の白衣の男が休憩室にやってくる。そのまま俺は地下に案内されると、今度はだだっ広い空間に連れて来られる。
 ぽん、と差し出された細長い箱。それは昨日散々握らされたものよりは、いくらか握りやすそうに改良が加えられている。これも握れ、と言うことなのだろう。この検査はなんなのだろうか、と思いながらグリップを握る。がこっ、と相変わらず変形するのだから見事なものだ。どう見ても拳銃で、相変わらずなんとも居心地の悪さを感じる。
 最終検査です、と言った白衣の男性は、なにやら手元のタブレットを操作すると一歩下がる。ががっ、と大きな音を立てて男性と俺の間に分厚いアクリルだろう透明な板が降りてくる。透明な板は俺と男性の間を仕切る。そして、男性はなにやらタブレットを操作する。ぽちぽち、と操作していた彼は、うん、と頷くと、こちらに話しかけてくる。分厚い板越しだからか、彼はタブレットに向かって話しかけて、俺の方は天井に設置されているスピーカーから音声が聞こえてくる。

「それでは、試験開始です。今から現れる存在を殲滅してください」
「……は?」

 あっけらかんと、なんでもないように言われた言葉に、俺は思わず間抜けな声をあげる。それもしかたがないだろう。今から現れる存在を殲滅しろ、って言われたって、何のことだとしか言えない。実際、透明な板で仕切られた以外になにも存在していないはずで――そう思っていたのだけれども、男性から視線を外すと、明らかに異様な存在がそこにあった。
 それはデジタルのような、アニメのような、なんとも存在しているのが不思議なものだった。この世界に、パソコンのプログラムのバグでも呼び出したらこうなるのだろうか、と言うほど不定形で、時々向こう側が透けて見えている、黒い存在。随分背が高い人のような姿だったり、中肉中背の姿に変わったりしているそれにあっけに取られてしまう。しかし、おそらく、これが男性の言う殲滅対象なのだろう。
 喉元まで来た吐き気を無理矢理に押し込めながら、震える手を無理やり持ち上げる。拳銃の形をしたそれの引き金をひくと、衝撃が腕を伝わって肩から心臓に伝わってくる。ばちん、と大きな音をたてて、黒いそれに着弾したらしい弾丸。存在は苦悶の声をあげるが、まだまだ元気そうだった。なんなら、こちらから攻撃したことに反応して、腕のように見える細長いものを振り回している。
 半歩体をずらして、拳銃を両手で支えるように持ち直す。銃床を手で支えて、引き金を引く。伝わる衝撃は重たく、確実な攻撃を加えているのが伝わる。ばちん、と大きな音を立てて直撃する弾丸に、苦悶の声を上げたそれは、両腕を振り回してこちらに突撃してくる。

「どぅわっ!」

 たたらを踏んでしまったが、直線に走ってきたそれを横に飛び退いて回避する。正体の分からないものだ。なるべくなら、ダメージを受けたくはない。というか、触れたくない。
 振り上げた腕を振り下ろして、振り下ろした腕を振り上げて暴れている存在の頭だか、胴体だか分からないが、人体であれば弱点になりそうな部分を狙って引き金をひく。狙って打とうとすると、銃の衝撃で腕がぶれてしまう。なにより、衝撃が重たくて、腕を上げるのも億劫なほどだ。自衛隊の演習でもこんなに重たい引き金をひいたことはない。
 それでも、衝撃に負けずに何度となく銃弾を撃ち込む。何発当てたか――何発外したのか考えるのもやめたあたりで、冗談みたいなプログラムみたいな、リアリティーのない存在は動きを止める。じゅっ、と中心から外側に向かって蒸発していくそれに、なんなんだぁ、とぼやくことしかできない。
 白衣の男がタブレットを操作したのだろう。透明な障壁が大きな音をたてて収納される。すっかり疲れ切ってしまった俺としては、少し胡乱げな目で彼を見ていたことだろう。男性はおつかれさま、と労ってくれたが、疲れているところ申し訳ないのだけれど、と言葉を続ける。

「一時間の休憩の後、面談を受けてもらいます」
「……はぁ」
「なに、大丈夫ですよ。ちょっとしたお話を聞かされるぐらいですから」

 男性はくすくすと笑って、休憩室に向かいましょうか、と有無を言わさずに俺を連れて行く。朝食ぶりに戻ってきたそこは、服部さんと同じ制服を着た人が数名いた。俺に気がついたらしい一人が、えしゃくをしてくれるから、俺も同じように会釈を返す。知らない人と過ごすのは居心地が悪いな、と思いながら、俺はドリンクサーバーでコーラを入れるのだった。

  • URLをコピーしました!
目次