1日目-昼02

「で、気になってる店ってどこなんですか」
「そんなに急かすんじゃねえ。お前、観光客だろ。その辺でもキョロキョロしてたらどうだ」

 悪い景色じゃないだろ。
 男がそう言うように、たしかに風景は悪くはない。白を基調とした建物は、材質やデザインもそろえているのか、どこまでも眩しく、どこまでも清潔だ。白色の歩道タイルも、目の色素が少なければ痛いぐらいに、太陽の日差しを反射させている。街路樹は等間隔に生やされており、穏やかで涼しい夏の風に青々とした葉を揺らしている。
 入場口から比較的近いからか、土産物屋だったり、体験施設だったりが多い。正直に言えば、目移りしそうなのがアランの意見だ。無事に生きて変えることができたら、ここでぬいぐるみのキーホルダーでも妹のおみやげに買うのも悪くはないかもしれない――生きて、帰ることができたなら、だが。
 アランが難しい顔をしていることなど知らず、男は歩調を緩めることなく歩いていく。土産物通りから離れて、飲食店やビルなどが見え始める。ビルも、白い外壁なものだから、徹底している、としか思えない。
 家族連れの隣を通り過ぎながら、アランは腕を組んで考える。
 
「いや、まあ、観光客……になるのか……?」
「それともあれか? 死んで保証金狙いか。そいつは悪いことしたな」
「むしろ、生き延びての賞金狙いですね!」
「そいつぁおたくにゃ無理だろ」
「否定が早い!」

 アランはスーツの男――ベルク・アーザックの後ろを歩いていた。
 パーカー姿の若い青年が、両耳と舌にピアスをあけて、大股でずかずか歩く、赤い柄もののシャツにストライプ柄の黒いジャケットと無地のスラックスを履いた、それはもうガラの悪い男の後ろを歩いていれば、一見すればその筋の存在に見えるらしい。髪型も二人揃って黒髪オールバックなのも、舎弟が兄貴分の真似をしているように見えるのかもしれない。だからか、それはもう、人が面白いように――まるでモーゼが海を割ったように避けていくのだ。
 大股でずかずか歩いていくベルクの後ろを、小走りでアランが追いかける。後ろを振り返ることもなく歩いていく彼に、足が長い男だな、となかばヤケになりながら追いかけていると、ここだ、とベルクが足を止める。止まったベルクの後ろで足を止めて、アランも入口の看板を見る。
 黒いボードが打ち付けられた白い看板には、OPENとシンプルにかかれている。他の町並みと同じ白い壁に、一つだけある長方形の窓には、アイボリーのロールカーテンが半分ほど降ろされている。おそらく、白い街で眩しく反射する日差しよけなのだろう。ガラス窓のそばには、小さな観葉植物や、陶器製の小さな動物がいくつか並んでいる。深い紺色で塗られた扉の上部に、花をモチーフにしたらしい四角いステンドグラスがはめられている。
 店と路地の隙間にひっそりとある小さな店には、店名がわかるものは出ておらず、アランはこの小さな店が本当に目的地なのかと不安になる。
 スマートフォンで位置を確認し、腕のスマートデバイスでも確認し直したベルクは、ここのはずだ、というとドアをゆっくりと開ける。その姿が存外に丁寧で、アランは粗暴な発言とのギャップが凄い、とぼんやり考える。大学のミーハーな女子学生が見ればきゃあきゃあ騒ぎそうだ。この男は黄色い歓声など嫌いだろうが。
 店内はオレンジ色に近い色のライトで照らされており、長方形に奥に細長い店内にはカウンター席だけが六席用意されている。白いシャツに深いグレーのベスト姿をした、店長だろう丸メガネをかけた男が入口を振り返る。手には磨いていたのだろう、白磁のコーヒーカップを持っている。

「いらっしゃい。どうぞ、おかげになってください」
「邪魔するぞ。コーヒーフロート、ひとつ」
「注文早っ……えっと、オレは……アイスコーヒーで」
「ふふ、少々お待ちください」

 お好きな席にどうぞ、と案内され、アランは手前の席に座ろうとして、出入口から一番近い席をベルクに陣取られる。仕方なくその隣に腰をかけたアランは、きょろきょろと店内を眺める。万年金欠貧乏大学生ともなれば、こんな洒落たコーヒーショップなんて入ったことがない。彼は世界中に店舗を構えるコーヒーショップにすら入ったことがない男だ。
 ダークブラウンの床材にカウンター。高いバーチェアの金属はシルバーに輝き、座面は深い赤色をしている。整理されたカウンター内の壁面収納を見ても、コーヒー豆なんだろうなあ、という感想しかアランからは出てこない。カウンター席の後ろに二枚掛けられた写真は、どうやら島の観光名所の写真らしく、下の方になにやら書かれている。近視のアランには、眼鏡をかけていても読み取れなかったが。
 こじんまりとした、小洒落た個人店そのものの店構えをしている、とアランは小洒落た個人店はこんな感じ、というイメージだけで店を評価する。ちら、と見たメニュー表の料金も、観光地特有のぼったくり価格ではない、良心的な価格帯だった。アランの財布にも優しい。
 値段にアランがほっとしていると、スマートフォンをいじっていたベルクが彼の方を向く。ため息を聞かれたか、と背筋をぴんと伸ばすアランに、ベルクはじっと見ていたかと思えば、何もなかったようにスマートフォンに向き直る。なんとも居心地の悪い無言空間に、コーヒーのいい香りが漂う。
 マスターの彼が慣れた手つきでコーヒーをカップに注ぐ。氷を入れて冷たくされたコーヒーがアランの前に差し出される。ありがとうございます、とアランが受け取れば、マスターはふっ、と軽く微笑む。よく冷えたコーヒーにバニラアイスをどん、と乗せたコーヒーフロートに長いスプーンを差し込んで、ベルクの前に差し出した彼は、君は旅行者かな、と尋ねてくる。

「それも、こういう店に慣れてないところを見ると……大学生、といったところかな。卒業旅行かな?」
「あはは……そんなに分かりやすいですか?」
「そんだけきょろきょろしてるってこった。あんたもそう思うだろ」
「はは、そうだね。わかりやすい、な」
「ぐぬぬ……卒業旅行じゃないですけど、大学生です」
「半分正解しちゃった」

 嬉しいな、とくすくすと笑う男に、それにしたって、とアランはぼやく。口をつけたコーヒーは酸味がやや強くて苦みが薄く、アラン好みの味だった。おいしい、と素直に口にする彼に、マスターはありがとう、と礼をいう。

「到着して早々死にかけるなんて思ってなかった……」
「いい経験だろ。平和ボケしてる頭にゃ、ちと刺激が強すぎたか?」
「刺激しかないですって。十八禁カレーじゃないんですから」
「ああ、君がそうか……生存権がない旅行者の一人か」
「えっと……これ、なんて言えばいいんです?」
「バレてるんだから、胸でも張っとけ」
「そういうものかなぁ……」

 不思議そうに腕を組んで考え始めるアランに、マスターはこれが教えてくれるんだよ、と自分の左腕についているバングルを見せる。手袋とシャツの隙間から見えるそれは、アランやベルクがつけているものと同じだ。バングルが、とますます不思議そうな表情をするアランに、通知が来るんだよね、とマスターの男は左腕をおろしてカップを磨き始める。
 知っていたところで無駄だが、と少し食べたバニラアイスを少し飲んだコーヒーに溶かしながら、ベルクは口を開く。コーヒーに意識があったら悲惨だろうなあ、とアランが視線をコーヒーに向けながら顔をベルクのほうに向ける。

「生存権のない旅行者が誰なのか、連絡があるんだよ、刑罰の減刑対象者にはな」
「それって……」
「ま、金持ちの道楽どもが楽しんでるんだろうよ」
「なんとも人格を疑う話ですけど……でも、それでお金を狙ってきてる側としてはなんともかんとも……って、あれ? それじゃあ」
「気がついたかい? 僕も高額納税者でね」

 この店は道楽でやってるんだよ。
 くすくすと笑う男に、アランはあんぐりと口を開ける。ベルクは、営業日数と時間が少ねえからそうだろうと思った、とすっかりバニラアイスが溶けたコーヒーだったものに口をつける。バニラアイスが混ざりきったコーヒーは、コーヒーフロートですらないのではないか、と思いながら、アランは人は見かけによらない……と驚きの表情のまま、コーヒーカップをカウンターの上に戻す。薄いコーヒーカップですら、高い食器に思えてきたのだ。
 食器は安物だよ、と笑いながら男はお使いを頼むような軽い口調で、周囲に注意していれば早々死ぬこともないさ、とあっけらかんと言う。

「いやいや! 死にますって!」
「死なない、死なない。大丈夫だよ」
「何も安心できないー!」
「そんな人を殺すのに快楽を覚える人ばっかりじゃないって。いい島だよ? ここ」
「どっちかというと、そういう人を殺すってことをするのは、本土の方でやらかして逃げてきた移住者か旅行者がやるよな」
「そうだねえ。あとは、賞金独り占めしたい生存権なしの旅行者」
「そっちなんだ……」

 まあ賞金を二人でとっても半額になるとかは聞いたことがないけどね、と男はにこにこと笑う。それでも、気を配るべきはずっと島に住んでいる人ではなく、一緒に飛行機に乗っていた人物や、船で移動してきた人物の方だということに、アランは気が滅入る。楽しげに写真撮影していたカップルが、次の瞬間ナイフを構えているかもしれない、と思うと誰だって気が滅入るだろう。
 
「高額納税者だから人を殺すっていうのは、そんなにないと思うよ。そもそも、高額納税者になるための金を殺人で賄うには、ちょっと荷が勝ちすぎると思うな」
「強盗殺人だって、成功したあとに納税までできる確率のほうが低いしな」
「れ、冷静に語られる犯罪事情……」

 あっけらかんとしているベルクと男に、アランは出かけた先で四六時中気を張るのも大変ですって、と言う。ホテルに閉じこもるのかい、と男が問いかけると、そりゃ無理ですけど……とアランはコーヒーを啜りながらため息を吐く。どうしたってホテルの外に出る機会はあるだろうし、そもそもホテルが絶対的に安全とは限らないものだ。
 だったら最初から出かけて楽しむのもありだと思うな、と男は言う。ベルクは、どうせ死ぬならいい景色を見てから死んだほうが有意義だぞ、とコーヒーだったなにかを一気に飲みながら言う。二人揃ってそんなことをいうものだから、アランはそれもそうなのかもしれない、と半分以上意見が流されはじめているのだった。

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