4日目-夜

「めちゃくちゃ寝た!」

 山崎アランは夕暮れ空を見ながら、思わず叫んでしまった。
 借りているホテルの一室。昨夜随分と飲んでしまったものだから、まだまだ眠り足りなくて、ペットボトルのミネラルウォーターを一気に半分飲んで布団に篭ったのだ。部屋の清掃不要の札をドアに掛けておいたから、誰も入らなかったのが幸いだろう。代わりにアメニティーグッズが袋に入れて置かれていたから、それをこそこそと回収したアランは、すっかり元気になった頭でもったいないことをしたと考える。
 今日はまだ行けていなかった第四区域の中心街をぶらつく予定だったと言うのに、と思いながらも、過ぎてしまった時間は取り戻せないから、とベッドの上に大の字になる。明日起きたら遊びに行こう、と考えたところでアランは、ふ、と外から視線を感じる。妙な話もあったものだ。アランの客室は七階で、よじ登るには中々の技術――それこそ、フラッシュのような異能が必要だ。仮に周辺の建物から飛び移ろうにも、彼の部屋は大通りに面しているために、正面の建物からジャンプして飛び移ることは不可能な距離だ。
 まさか壁に張り付いている人間がいるとでも、と思いながら、恐る恐るアランは外の見える窓を見る。そこには恐怖に歪んだ顔をした男が張り付いていた。ばっちりと男と目と目が合ってしまったアランは、声にならない悲鳴をあげる。ベルクさんとか美晴さんの携帯番号知らないんですけど、と脳内で一番頼りにしている男たちの顔を思い浮かべながら、アランはじりじりと廊下に向かって走り出せるように後退りをする。
 男がなにかを口にするよりも早く、その体が急速に萎んでいく。フラッシュ能力で壁に張り付いていたらしい男が、光っていた指先から光を失い、からからにあっという間に乾いていく。
 え、とアランが驚くよりも早く、男の肌から水分が失われていく。シワが増えていき、どう見てもかぴかぴに乾き切っていく男は、吹いた風に耐えきれなかったのか、その体を宙に舞い上げていく。ひらひら、と糸の切れた凧のように飛ばされていく男に唖然としながら、アランはそろそろと窓に向かって歩いていく。安全上わずかにしか開かない窓を開けることなく、彼は飛ばされていく男を目線で追いかける。随分と小さくなった男の姿に、なんだったのだろうか、とアランは呆然とするしかなかった。

 ◇◆◇

「こんな感じでいいのかなあ」
「上出来じゃねえの」
「でも、これじゃあ悲鳴が聞こえないねえ」
「文句言うんじゃねえよ」
「ええ? けちだなあ」

 僕は死ぬ直前の絶望した顔か、声が聞こえないと満足できないのに。
 まるで、食べたかったアイスクリームにお目当ての味がなかった、と文句を言うような軽い口調で美晴は唇を尖らせる。合法的に許可出してやってるだけありがたく思えよ、とベルクは美晴の文句を切り捨てる。しかし美晴は、僕は高額納税してるからあんまり恩恵ないんだけど、とブスくれた様子で文句を言う。
 美晴がフラッシュ能力で身体中の水分を根こそぎ奪った男は、ベルクたち治安維持部隊がいずれ追い詰める凶悪犯になる予定だった男だった。
 今日の夜にアランの部屋に侵入し、彼を殺傷しようと目論んでいた男だったのだ。それは、ミネアのような、巨万の富を持つ彼らが遊び半分で賭けている人物を、別の陣営が盤面から除外する妨害行為だった。ミネアはアランに賭けていることを知っている陣営が、山崎アランを排除しようとした――ところをミネアの陣営が聞きつけ、それをベルクに漏らしたのだ。そして、ベルク本人は猟奇趣味を持つ美晴に対象人物の殺傷を持ちかけたのだ。
 風に煽られ、飛んでいく死体を遠くに眺めながら美晴はのほほんとした様子で口を開く。

「いやいや、まさかベルクくんが正義のヒーローだったなんてねえ。世も末だよ」
「悪かったな」
「いやだって、君、どっちかっていうと悪の組織の親玉って感じがあるじゃない。そんな凶悪そうな顔で、治安維持部隊の人間ですって言われても、さすがに信じられないよ」
「俺だってそう思うがな」
「思ってるのかあ」
「ミネアのやつに飼い殺しにされてるんでな」
「ふふ、大変だねえ」

 じゃあ僕は君に飼い殺しにされちゃうのかな。
 呑気な表情で美晴がそういうと、てめえが飼い殺しされるタマかよ、とベルクは吐き捨てる。からからに干からびた男だった残骸は、風に煽られて海の方に飛んでいってしまった。おそらく、魚か鳥の餌にでもなるだろう――運が良ければ、身元不明の怪死体として打ち上げられるかもしれない。あーあ、と目の前でおもちゃを取り上げられた子どものような声を出した美晴だったが、これで今日はこれで終わりかい、と尋ねる。今日は終わりだな、とベルクが口を開こうとして、彼の私用のスマートフォンが鳴る。
 舌打ちひとつして端末を取り出した彼は、画面に表示された名前を見て苦虫を大量に噛み殺した顔をする。それを横目で見た美晴が、僕より殺人鬼に向いてる顔してるよ、と微笑う。

「追加一件入ったぞ」
「ふふ、今度は断末魔が聞けると嬉しいなあ」
「俺ぁ聞きたかないがな」
「えー? つれないなあ。もったいぶりながら、痛ぶってあげるのが楽しいのに」
「俺は一思いに仕留める主義なんでな」
「そっかあ。ねえ、一回痛ぶって仕留めてみない? こっち側、向いていると思うんだけどな、君も」
「はっ。金積まれてもやりたくねえな、悪趣味がすぎる」

 鼻で嗤いながら、ベルクは道路を渡ってホテルの裏口に向かう。待ってよぉ、と言いながら追いかける美晴。
 ちょうど二人がホテルの裏口が見えるあたりまでくると、裏口にいる守衛が、今まさにグレーのスウェット姿の女のフラッシュ能力で眠らされるところだった。覚悟を決めた人間の悲痛な顔をした女は、裏口の扉をあけるために、守衛室を漁ろうとしているところに、ちょうど二人は鉢合わせした形だ。

「よかったじゃねえか。今度は女だぞ」
「うーん、僕は男でも女でもどっちでもいいんだけどなあ。あ、ねえねえ、この中びちゃびちゃにしてもいい?」
「守衛も災難だな。居眠りさせられた挙句、起きたら血みどろの室内たぁな」
「ふふふ、スプラッター映画みたいで楽しい気持ちになってくれるかもよ」
「んな状況でちんこおっ勃てるのは、てめぇみたいな悪食ぐらいだろうよ」

 他愛のないやりとりをしながら、ベルクは開けっぱなしの扉を閉めてやる。がちゃり、と閉められた扉に、中を漁っていた女がハッとした様子で窓の外を見る。大きな窓ガラスの向こうには、人の良さそうな微笑みをたたえた丸メガネの男がにこやかに立っている。女は胡散臭そうな表情を浮かべて、手を光らせ、異能を発動させようとして――それよりも早く体の異常に気がつく。
 指先がふやけたように膨らんでいる。それはどんどんと膨らんでいき、指先から手のひら、手のひらから腕へと広がっていく。両腕が、両足が、胴が――みるみるうちに内側から膨らむ体に、女の顔が恐怖に引き攣る。ぶくぶくと風船のように膨らんでいく身体に恐怖しながらも、悲鳴ひとつあげられない女。喉が圧迫されて声が出ないのだろう。
 自分の力ではどうしようもない、自分自身の身体の異常に、女は逃げ出そうと扉に手をかけるが開くことはない。ベルクが体重をかけて扉にもたれかかっているのもあるが、女の手に力が入らないこともある。ほっそりとしていた女が、ぶよぶよのぶくぶくに膨れ上がる。まるで水風船のような姿に、美晴は心底楽しそうな笑顔を浮かべる。

「ね、このまま君のフラッシュで分解したら、どうなるのかな? 水で薄まった血がいっぱい出るのかな?」
「嫌なこった。俺の服が汚れる」
「うーん、君って本当につれないね」

 窓の下に開いている、守衛とやりとりをするための穴に手を差し込み、美晴はその穴の蓋を引っ張る。内側が完全に密室にさせられたことを女が察した時、恐怖は最高潮に達したのだろう。青褪めて蒼白、なんてものじゃないほどに女の顔色は悪くなる。目は恐怖に見開かれて涙を溢し、むくれた顔を恐怖に震わせ、ぶよぶよの唇から覗くヤニで黄ばんだ歯はがちがちと震えている。ほのかにアンモニア臭もするから、もしかしたら失禁もしているのかもしれない。

「そうそう! やっぱり、この顔だよ! これが一番生きているっていう顔だよね!」

 美晴はにこやかに、高らかにそう言い切る。彼のその言葉に、ベルクは呆れたため息をこぼすだけで同意も否定もしない。
 皮膚が、筋肉が、脂肪が、細胞が許容量を超えた水分に裂けていく。一箇所が裂けると、連鎖するようにあちこちが裂けていく。あっという間に引き千切れた皮膚や筋繊維、内臓が部屋中に飛び散る。そして、守衛室の壁や床を赤く染めていく。扉の隙間、窓の隙間から赤い液体がはみ出す。水で膨らんで殺された女に眠らされた守衛は、そのまま眠りこけている。どうやら、女の催眠系のフラッシュは、能力者が死亡しても解除されないタイプだったようだ。
 靴底を隙間から溢れた血で汚したベルクが、もっと綺麗にやれよ、と文句を言う。扉から離れた彼は、そのままホテルの正面玄関に向かうものだから、待ってよぉ、と美晴も着いていく。

「やっぱり、人を殺す覚悟を決めた人なら、その覚悟に対して敬意をもって対応するべきだと思うんだよね」
「どこが敬意を持って対応してるって言うんだよ」
「芸術的でしょ? 局所的に全部自分の身体で染め上げるって」
「どこの三流俗悪映画だよ。今どき見ねえわ」
「どうやら君には、古き良き古典的なスプラッターの良さを教えないといけないみたいだね」
「いらねえ」
「コーヒーフロートにチュロス付きでどう? 古き良き古典スプラッター映画五本連続上映会なんだけど……」
「コーヒーフロートが特大サイズなら考えてやるよ。チュロスはしっかり砂糖でコーティングされたやつな」
「しょうがないなぁ」

 じゃあ、今度アランくんも入れて三人で映画上映会しようね。
 まるでピクニックの約束をするように告げる美晴に、アランのやつちびるんじゃねえの、とベルクは嗤う。それはそれで可愛いじゃない、と美晴が笑みを深めるものだから、ベルクはお前どこまでも悪食野郎だな、と舌打ちをするのだった。

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