3日目-夜

 どの世の中でも、酒が入れば人は大なり小なり騒がしくなる。理性という箍は外され、本性を垣間見せる人が増える。のんびりと居酒屋から出てきたアランも、ほんのりと頬を赤らめている。見覚えのあるチェーン展開している居酒屋から出て来た彼は、ホテルに戻るまでに酔い覚ましをしようと生ぬるい夜風に当たっていた。
 心地よいアルコールがもたらす酩酊に酔いしれながら、アランは大通りを歩いていく。思えば、生存権を保障されていないと言っても、そもそも日本本土でも保障されているわけではないのだ。他者を貶めたり、傷つけることに対して罰則があるだけで、生存を必ずしも保障してくれる人はいない。ただ、ここ、トランペッター・バーナード島では罰則を軽減することができるという異常性があるだけで。
 なにかあれば警察に駆け込めばいいし、大通りで堂々と狙ってくる人もそうはいないだろう。そう思いながら、アランはホテルへ続く道を歩いていく。ちょうどその時、コンビニの隣の路地から見慣れた白いベストを着た背の高い男が出てくる。ふんふん、と鼻歌を歌いながら出て来た男と目が合ったアランは、あれ、と足を止める。そこにいたのは、すっかり一緒に行動することが増えた篠崎美晴だった。

「あれ、美晴さん。どうしたんですか、こんなところで」
「アランくんこそ。ああ、お酒飲んできたのかい?」
「そんなところです。大衆居酒屋、こっちにもあるんですねえ」
「ふふ、あのチェーンのお店、おいしいよねえ」

 くすくす笑う美晴に、アランはやっぱり安い酒がしっくりきます、と笑う。ひょろりと背は高いが、細い路地をすっぽりと隠して奥が見えなくなる美晴を近くで見ていると、意外と筋肉質なのか、とアランは思ってしまう。

 (ん?)

 ふ、と一瞬濃密な血の匂いがした。どこかで誰かが襲われているのだろうか――そんなことを思った時には、血の匂いは吹いた風に攫われてしまっていた。血の匂いで難しい顔をしたアランに、美晴は少し身を屈めて尋ねる。心配そうに覗き込んでくる彼の様子に、アランはさらに心配させるようなことを言うわけにはいかない、と思って大丈夫だと返事をする。
 そうかい、とまだ心配そうな顔をしている美晴だったから、アランはちょっと血の匂いがして、と素直に打ちあける。美晴は周辺を嗅いでから、今はしないねえ、と不思議そうに首を傾げる。気のせいだったんですかね、とアランも不思議そうに首を傾げる。

「まあ、事件の可能性もなくはないし、注意したほうがいいかもしれないよね。ホテルまで送って行こうか?」
「そうですよねえ。って、オレ流石にそこまで子どもじゃないんで大丈夫ですよ!」
「そうかい? それならいいけど……」
「ホテル、大通り沿いなんで、大丈夫ですよ」
「それならよかった。夜の路地裏なんて、おっかないお化けが出て来ちゃうからね」

 アランくんなんて、頭からばりばり食べられちゃうよ。
 くすくす笑いながら、おどけた様子でそんな物騒なことをいう美晴。お化けに出会いたくないなあ、とつられてアランも笑う。またお店にいきますね、と言ってホテルに向かって行くアランを見送りながら、美晴は浮かべていた微笑みをそのままに路地裏に足を向ける。
 路地裏の突き当たりまで歩くと、そこにいたのは限界いっぱいまで体を膨らませられた肌色の肉塊だった。人間の全身にくまなく脂肪を蓄えたかのように、ぶくぶくと膨らんだ体。喋るのも動くのも辛いのか、それでも美晴の靴音を聞いてもがくように指先だけが動いている。肉塊の近くにはちぎれた布切れのようなものが散らばっている。どうやら、これは人間らしい。

「アランくんにばれちゃうところだったなあ。危なかったよ」

 ほらほら、暴れちゃうから腕が切れちゃったねえ。
 鋭利な刃物――割れたガラス片で切れた腕から、だくだくと血が垂れている。美晴は手袋越しに手を光らせる。彼の持つフラッシュ能力は、水分を操るものだ。それは人の体にある体液も好きなように操れる。流れる血を逆流させて肉塊に押し戻しながら、美晴はさらに肉塊を膨らませる。ががっ、と苦しそうな声をあげるそれを、恍惚と言った様子で美晴は目を細めて眺める。
 そう、そう、もっとその声を聞かせて欲しいんだよね。そう微笑んで呟く彼は、目の前の肉塊が蓄えられる限界まで水分を蓄えさせる。ぶくぶくのばちばちに膨らんだ体は、まるで風船のようになっている。ちょっとした衝撃で膨らみきった体は、弾けてしまってダメになってしまうのではないだろうか、そんなことを思いながら、丸い眼鏡越しにきらきらと好奇心を覗かせる美晴は、路地の入り口近くまで戻る。振り返ってから、もう一度フラッシュ能力を発動させる。いぎっ、とも、ひぃっ、ともつかない声で叫んだ肉塊は、限界を超えて蓄えさせられた水の力で、内側から弾ける。見るも無惨にあらゆる体液を流して、臓器や筋肉を晒しているそれを眺める美晴。路地の突き当たりが、血をはじめとした体液でべったべたのぐっちゃぐちゃに汚れたのを見ながら、やっぱり派手なのもいいよねえ、とにこにことご満悦の美晴。す、と視線を自分の履いているスラックスに向けた彼は、しっかりと勃起している愚息にうんうん、と頷く。

「悲鳴がくぐもってしまうのが難点だけど、分かりやすく派手なのはこう……震えるほどに素敵だよねえ……」

 液体を全部抜いちゃうと、かぴかぴのミイラがあるだけだもんね。数日前のミイラ化した変死体のことを思い出しながら、美晴はふわふわと路地を背に歩いていく。すっかり元気そのものの愚息を慰めるために、もう一人ぐらい遊びたいな、と美晴は呟く。目を細めて美晴は繁華街をちら、と一瞥する。
 美晴は、自分のスタイルや顔立ちが恵まれていることを知っている。ちょっとにっこり笑ってやれば、それだけで尻の軽い女はころっと近寄ってくるし、男だって転がしていける。今日はどっちにしようかな、と鼻歌を歌いながら彼は毒々しくけばけばしいネオンの中に身を溶け込ませる。都合のいいワンナイトの相手を求めはじめる。美晴は、今日はもう聞いたからあとはゆっくりしたいよねえ、とぼやく。なにが、を言わない彼は、ゆっくりと一夜を共にする相手を探している人々が集まる、いつもの店に潜り込む。
 美晴が店に入れば、カウンターで飲んでいた男が入口を振り返る。おおい、と手を挙げた彼に美晴は近づいていく。

「美晴さんだ」
「美晴さんだよ。久しぶり、みたいな顔しないでよ。そこそこ遊びに来てるんだよ」
「おれが久しぶりにこっちに来たからかも。今日、おれ、フリーなんだよね」
「へえ、でも、今日の僕はゆっくりえっちしたい気持ちなんだよね」
「なんだぁ。首締めとかしない感じ?」
「んー……気分がノってないんだよねぇ。今日はとにかくぐずぐずに融けちゃうようなのがいいなぁ、って」
「出た。美晴さんの紳士モード」

 喉を鳴らして笑う男に、僕はいつだって紳士的でしょ、と美晴は唇を尖らせる。そんな姿が似合うアラフォー美晴さんだけなんだよなあ、と笑いながら男は席を立ち上がる。ケダモノ紳士モードだったら一晩付き合ってもらおうと思ったのに、と残して男は店の奥に向かう。別の暇そうな男を探しに行ったのだ。
 振られちゃったな、と微笑みながら、美晴はバーカウンターの向こうにいるマスターに、いつもの、と口を開く。マスターも先ほどのやりとりを気にしていないのか、はい、とだけ告げてカクテルの準備を始める。それをちら、と見てから、美晴は今日来店している客を観察し始める。相手が見つからなかったら右手を恋人にするかなぁ、と思いながら出来上がったカクテルをマスターから受け取るのだった。

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