夏、茹だる炎天下

「……」

 かき上げるほど長くない前髪をかきながら、晶は炎天下を歩いていた。本日の工場での仕事を片付け、バイクを自宅に戻してから、彼女は駅に向かって歩いていた。
 バイクで駅に向かわなかったのは、人を迎えに行くためだった。同棲相手の巣鴨の仕事が終わるタイミングで、彼を迎えに行くのが、彼女のときどきの楽しみでもあった。というのも、締め切りが迫っていると、定時で上がるとは限らない男であるのと、晶が夕飯の支度で手が離せないと迎えに行くことができないために、ときどき、となるのだ。
 日差しが沈みきっていない。それだけで焼け付くような暑さになったのはいつからだっただろうか。少なくとも、小学生の時はここまで暑くはなかった、と思いながら、晶は自動販売機で塩分を含んでいる飲み物を買う。
 すぐに乾きを覚える体に、水分を与えながら、彼女は首に引っ掛けたタオルで流れる汗を拭う。汗を吸うタオルも、吸った端から乾いている気がする。

「暑い、な……」

 夏の空気に溶けるようにつぶやいた独り言は、暑い空気に溶けていく。体感気温が上がった気がして、はあ、とため息が溢れてしまう。
 暑さゆえにいつもより長く感じる道のりを歩き、駅が近くに見えると、派手なピンク寄りの茶色の髪を探してしまう。出口のあたりでキョロキョロとしている男が見えて、晶は目を細める。視力はいい方だが、人を探すときの彼女の癖だ。
 案の定、派手な髪をした男は彼女の同性相手である巣鴨雄大その人だった。右手に下げたペットボトルごと腕を上げれば、気がついた彼が手を振ってくる。
 リュックサックを背負い直して走ってくる巣鴨に、小型犬、と心の中で認識しながら、晶は駅の影に入る。日陰に入ると、それだけで涼しさを覚える。

「ただいま、晶ちゃん。外暑いねえ」
「おかえり。今日は冷奴とサラダうどん」
「うどん、って茹でるとき暑くないかな?」
「どうせ火を使うからな。気にならん」
「そんなものかなあ。晶ちゃんがいいならいいけど……あ、日傘入ってく?」

 影があるだけでも、十分涼しいからさ。
 そういうと巣鴨はシルバーの日傘を持ち上げる。シンプルなシルバー一色のそれは、男性が持っても違和感のないものだ。
 死を予感させるほどに暑い昨今では、日傘を差さない理由がないとは巣鴨の言葉だ。

「晶ちゃんもそろそろ買ったら? 頭の体感温度が4度くらい下がるらしいよ、日傘」
「む……」
「俺が似合うのを見つけるからさ! ね?」
「まあ……暑いのは事実だからな……」

 バイクを飛ばしているときはさほど気にならないが。
 そう呟く彼女を日傘の影に入れながら、バイクだと走ってるときは涼しそうだよね、と巣鴨も頷く。
 二人で分け合う日傘の中は狭いし、アスファルトの照り返しからの熱もあって、いつもよりずっと暑い。それでも離れる気にならないのだから、不思議なものである。

「そうだ、次の休みにさ、おいしいご飯屋さんに行こうよ。ヴィンスさんオススメだから、絶対おいしいよ」
「へえ」
「ご飯山盛りにできるし、キャベツも増やせるんだって。たくさん食べられるのはいいよねえ」
「そうだな」
「まだ、この辺りのおいしいご飯屋さんも開拓してないし、それもやらないとな」
「……本当に好きだな、店を探すのが」

 ふはっ、と息を吐き出すように笑った晶に、おいしいご飯と好きな雑貨の店を見つけると人生がさらに潤うよ、とにこにこ笑って巣鴨は返事をする。
 そんなものか、と首をかしげることもなく尋ねる彼女に、そうだよ、と彼はご満悦な笑顔を浮かべている。

「おいしいご飯屋さんなら、晶ちゃんと一緒に食べに行けるし、かわいい雑貨を扱ってるなら、家に持って帰ることができるでしょ?」
「……そうか」
「満更でもなさそうな顔してるね? 嬉しい?」
「そうだな……そうだな」
「へへ。それなら良かった」

 嫌だな、って顔されたら悲しいもんね。
 笑った巣鴨は自宅近くの空きテナントの前に、内装業者の軽トラックを見つける。
 歩きながら、なんのお店になるんだろうね、と巣鴨は晶に声をかける。晶はちら、と軽トラックを見ると、何になるんだろうな、と相槌を打つのだった。
 

  • URLをコピーしました!