2日目-昼04

「ちなみに、向こうの扉ってなにがあるのかな」

 そう言ってアランが指を刺したのは、この部屋に唯一ある扉。気になんの、と少年・ユウキが言うものだから、そりゃあね、と肩をすくめるアラン。なにもなかったと思うけど、と言いながらユウキは扉をぐっ、と押し開ける。
 扉の向こうには何もなく、ただただ暗い闇が広がっていた。何もないでしょ、と言ったユウキ。そうだね、と言ったアランだったが、扉の向こう側を覗き込む。きょろきょろと周辺を軽く見ていると、しばらくすると目が慣れてくる。アランはぎょっとする光景を垣間見る。
 それは多くの腕や足だった。切断されたような形跡はないように見えるが、脚や腕の付け根側が闇に紛れてしまってよく分からない状態だ。だからこそ、ちょっとぎょっとした。もしかして――足が胴体と繋がっているという保証が見当たらなくて、何もなかったように扉を閉めることにするアラン。
 ぱたん、と扉を閉めて、アランはユウキを連れてクッションのあるところに戻る。
 はあ、とすっかり重たいため息をつく少年の肩をアランは、ぽん、と叩く。

「わかるよ。戻ったらなんていうか……また面倒を見なきゃいけないもんね」
「にいちゃんにも、経験があるのか?」
「うちも両親が忙しくてさ。妹の面倒は全部僕が見てたんだ。離乳食も作ったし、おしめも変えてあげたな」
「おれ、そこまでやったことない……」
「普通はやらないと思うよ!? でも、本当に帰ってこない両親だったからさ、寂しかったな」
「そっか……おれも、父ちゃんと母ちゃんが妹の面倒ばっかり見ててさ、おれの宿題、見て欲しいのに見てくれないんだ」
「それはよくないよね。妹ちゃんって、まだ小さいの?」

 ユウキは、んー、と唇に人差し指を当てて考える。さらさらの短い黒髪を左右に揺らして考える。
 
「んー……保育園にこないだはいったばっかり」
「まだ小さいね。でも、やっぱり、兄を放っておくっていうのは、やっぱりね」
「だよなー。まあ、しかたないっちゃそうなんだけど、やっぱり勉強は見てほしいし、妹におもちゃとられたら、妹を怒ってほしいんだよな」
「あ、出たね。お兄ちゃんなんだから我慢しなさい、ってやつ」
「そう! そうなんだ! なんだよ、おにいちゃんなんだから! って!」

 おれだって、おもちゃとられたら嫌だし、父ちゃんと母ちゃんと遊びてえよ!
 思いの丈を叫ぶユウキに、アランはそれ伝えてみようよ、と提案する。それを聞いて、でもさあ、としょんぼりしたユウキは、父ちゃんと母ちゃんがおれいらないっていったらどうしよう、とつぶやく。その言葉を聞いたアランは、にっ、と口の端をつり上げてから、本当にいらないっていったらオレの弟になりなよ、と笑う。

「にいちゃんの弟かー」
「どう?」
「でも、にいちゃんもすっとこどっこいなところありそうだしなあ」
「なんで!?」
「でも、にいちゃんいいやつだから、考えといてやるよ!」

 にぱっと笑ったユウキに、アランは考えておいてね、と返す。さっき泣いたカラスがもう笑ったなあ、と思いながら、アランはユウキに尋ねる。どうやったらこの空間から出られるのか、と。
 すると、ちょっと待ってて、と言ったユウキは背後の壁に触れる。ばちっ、と閃光が走ったと思うと、そこにはパンダをかたどったアーチが生み出されていた。ここ出口、とユウキは指でさす。

「じゃあ、帰ろうか」
「……ん」
「にいちゃんもついてるからさ、母さんたちにちゃんと話そうな」
「ん!」

 アランとユウキは互いにしっかりと手を握って、アーチをくぐる。
 アーチに足を一歩踏み出すと、真っ白い光がふたりを出迎える。まぶしさにアランは目を細めてしまうが、一歩、また一歩と足を進める。しばらくも歩かないうちに、急に白い光は遠ざかり、見覚えのある――先ほどまでいたカフェの中に戻ってくる。
 ベルクがすっかり空になったチョコレートサンデーの入っていたグラスと、飲み物の入っていたグラスを指さして、遅ェ、と出迎える。美晴はお帰りなさい、と言ってくれるが、彼の飲んでいたアイスコーヒーもすっかり空になっている。アランが最後に持っているふたりの記憶では、まだコーヒーは半分ほど残っていたはずだった。
 ユウキと手をつないだままだったアランは、美晴とベルクに声をかける。アイスコーヒーが空になるほど、時間が経っていたのだから、きっとユウキの両親は心配しているに違いない。

「もどってきました! あ、ちょっと席外します!」
「あ?」
「うん? いってらっしゃい」

 いつもの日常に戻ってきたことに喜びつつ、アランはユウキの両親を探す。探すと言っても、むしろ、両親と妹の方から、ふたりのほうにやってきたのだが。
 おいおい泣きながらユウキを抱きしめる男性に、アランに頭を下げる女性。アランは両手を振って、むしろこっちが世話になったと伝えてから、アランを見上げていたユウキとうなずき合う。

「あのさ!」

 立派に口火を切ったユウキの震える手を、ぎゅ、と握りしめるアラン。ユウキはぽつぽつと思っていたことを話し出す。それを聞いた両親は謝罪とともにユウキを抱きしめる。
 一件落着かな、とアランがそっと席を外そうとすると、ユウキがにいちゃん、と呼び止める。

「ありがとな!」
「オレはなにもしてないよ。でも、いい方向にまとまって良かったね」
「へへ、にいちゃんが話聞いてくれたからだな! なあ、まだ島にいるのか?」
「ん? うん、いる予定だよ」
「じゃあさ、明日暇か?」
「暇だねえ。どうかした?」
「第一区域のフラッシュ研究所で、夏のこーかいこーざってのがあるんだ! おれ、見に行くんだけど、にいちゃんもいこうぜ!」

 ユウキのいうこーかいこーざはおそらく、公開講座だろう。オープンキャンパスみたいなものかな、とアランが思っていると、こら、と父親がユウキを叱っていた。おもしろそうだね、とアランが言えば、ユウキはだろ、とにっかりと笑う。だから、両親もなんとも言えなくなったのだろう。
 そういえば自分のフラッシュはなんとなくで使い方を理解したが、とアランは思う。未だ発現する経緯などが不明である、フラッシュと呼ばれる、閃光とともに生まれる特殊能力の現象。使い方は体で覚えることはできるが、解明されていることは何も知らないな、とフラッシュ能力を持つアランは思う。ならば、いっそのことこの機会に多少なり知るべきなのかもしれない。
 そう考え、アランはユウキに一緒に行くかい、と尋ねる。ユウキはもちろん、と言ってから、そのためににいちゃんに教えたんだぜ、と言うものだから、両親は恐縮そうに頭をアランに下げる。

「申し訳ない。本当は親が一緒に行くべきなのですが……」
「いえいえ! オレも気になっていることですし、いい機会だなって思うので!」
「そうそう。父ちゃんと母ちゃんは、おじさんたちの相手しててくれよ。おれ、夏休みの宿題もあるしさぁ」
「ユウキ……」
「自由研究にちょうどいいじゃん! おれも、おれのフラッシュのこと、もっとよく知りたいし」
「オレもそうです。フラッシュについて、もっとよく知りたいし……それに、ユウキくんと仲良くなりたいし」

 にこにことアランが笑いながらそう言えば、ユウキの両親はそうですか、と押し黙ってしまう。これはだめかな、と思いつつアランは黙っている。ユウキの両親は何事か交わしてから、明日お願いします、と頭を下げる。
 やったー、と喜びをあらわすようにハイタッチするユウキとアラン。

「にいちゃん、明日迎えに行くからさ! どこのホテルなんだ?」
「ええと……ホテルは……このホテル」
「んー……オッケー! 覚えたぜ。あした、こーかいこーざは十時からだから、ちょっと早いけど、八時半ぐらいにホテルに行くからな!」
「分かった。待ってるね」
「おう!」

 そう言うと、アランはユウキに連絡先の交換を申し出る。ユウキはやった、と喜んで交換に応じる。
 連絡先の交換をすると、ユウキは両親とともに自分の座っていた席に戻る。アランも同じように自分の席に戻ると、にやにやしているベルクと、微笑ましい交流だねと微笑んでいる美晴に迎え入れられる。そんな調子なものだから、アランは席に戻りながら、いろいろあったんですぅ、とぶすくれる。

「いろいろ、ね」
「そうですよお。本当、いろいろありましたけど、まあわりと丸く収まった感じがするって言うか……まあ、いいや」
「でも、第一区域のフラッシュ研究所か。僕も興味はあるけど、さすがに無理だなあ」
「さすがに二日連続お店は空けられないですよね」
「そうだねえ。さすがに臨時休業しやすいとはいえ、ね」

 僕の分までいろいろ学んでおいでよ、と笑う美晴に、面白い話が聞けたら共有しますね、と頷くアラン。だんまりだったベルクは、近くまでだったら送ってやろうか、と提案する。
 彼の方から、そんな提案がされるとは思っていなかったアランは、ぎょっとした表情になる。そんな彼を見て、ベルクはやっぱりやめるわ、と提案を取り下げようとするものだから、慌ててアランはベルクの提案に乗る。

「にしても、どうしたんです?」
「職場の定期検診が明日なんだよ。どうせ第一区域に行くなら、フラッシュ研究所寄ろうが、医療機関までの距離は大して変わらねー」
「ああ……そういうことですか……」
「意外と律儀にいくんだね。君みたいな人だと、むしろ行かないんじゃないかなって僕思っていたよ。見直しちゃったな」
「タダで病気を見つけてもらえるんだったら、喜んでいくがな」
「たしかに。健康診断って、意外といいお値段するものね」

 僕も年に一回は受けようかな、と話す美晴に、ベルクは受けときゃいいんじゃねえの、と気のない返事を返す。そんなやりとりを聞きながら、アランは明日は何事も起こらずに済めばいいのだけれど、と思うのだった。

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