3日目-昼03

「よく分かんなかった!」
「オレもよく分からなかった!」
「にいちゃん、おれ、自由研究から自由工作にしようと思うんだけど、どう思う?」
「いいと思うよ。何作ろうか……」
「手伝ってくれんの?」
「旅行中、暇だからね」

 元気よく、分からなかった、と一階ロビーでユウキとアランは今日の公開講座の結論を述べる。アランはかろうじて起き続けていたが、要はフラッシュはストレスが原因かもしれない、ということと、人間しか現在見つかっていないこと。そして、戦争に利用されないように、世界的に法整備されたのはここ最近の奇跡だということが分かったくらいだ。
 それでも利用される人はされるんだろうな、と他人事とは思えないことを思いながら、アランはスマートフォンを触る。
 夏休み、自由工作、で動画サイトで検索をかけるアランに、横から覗き込むユウキ。これ面白そう、とユウキが指をさしたのは宝石石けんを作るものだった。しかし、ユウキの家には幼い妹がいることを考えたアランは、妹ちゃんが材料を口に入れちゃうかも、と呟く。それを聞いて、ユウキはありそう、と同意する。

「そっか。妹が口に入れても大丈夫なやつじゃないとだめか」
「そうだね。そうなると……」
「にいちゃん! この、ブックフォールディングってなに!?」
「え!? オレも知らないよ!?」

 ユウキが指さした動画を二人で見る。それは本をページごとに目をつけていくことで、本の側面に立体的なオブジェを作ることだった。調べると、あらかじめ折り目をつける目印が着いた本も売られているらしい。
 これならハサミも使わないし、妹がいてもできるじゃん、と乗り気なユウキにアランも頷く。本屋で売ってんのかな、とワクワクしながら、二人がロビーを後にしようとすると、どん、っとアランは背中に衝撃を受ける。ちりちり、と鈴がなり、うわわ、とアランは体勢を崩しそうになる。
 なんですかもう、と怒りながら後ろを振り返るアラン。こんなことをしてくる、この島での知り合いなんて一人しかいない。
 当然の如く、そこにいたのは片足を軽く上げたベルク・アーザックだった。よく磨かれた黒色の革靴を履いた足を下ろした彼は、まだここにいたのかよ、と鼻で笑う。こけかけたアランに大丈夫かと声をかけながら、ユウキはそういうのダメなんだぞ、とベルクに呆れている。

「あ? いいだろうが、俺は別に迷惑かけてねえ」
「かけてますよ! オレに!」
「あ?」
「あーはいはい! かかってません!」
「にいちゃん、権力に弱すぎんじゃね?」
「うぐ……そうかもしれない……」

 ユウキに呆れられながらも、アランは体勢を整え直す。ベルクはいつもの黒地にストライプ柄のジャケットで、思わずアランは暑くないんですか、と声をかけてしまう。暑いって概念はねえわけじゃないが、とベルクは鼻で笑う。

「屋内は寒いぐらい冷房かかってるからな」
「あ、たしかに。ここもちょっと寒いぐらいですよね」
「たしかにそうかも。なんだ、にいちゃん寒がりなのか」
「……そういうことでいいか。で、お前ら何ここでちんたらしてんだよ」

 俺を待っていたわけでもねえだろ。そうベルクが言うと、そうそう、とアランはスマートフォンの画面を見せる。ブックフォールディングの制作画面を見せられたベルクは、んだこれ、とどうでもよさそうな返事をする。おれの夏休みの自由工作、とユウキがドヤ顔をする。こういう本って大きい本屋にありますかね、とアランはスマートフォンをポケットにしまいながらベルクに尋ねる。しらねえよ、と案の定な返事が返ってきて、そりゃそうだ、とユウキとアランは頷く。

「第四区域のアホみたいにでけえショッピングモールに、でけえ本屋があっただろ」
「あ! 行ったことあるぜ! エルミスト商店街の端っこのところだろ!」
「あそこのモール、中にスフレパンケーキがうめぇ店があったな……」
「うわ……性格悪いおっさんだ……」
「あ?」
「あー、はいはい! 奢りますよ! 奢ります! オレもスフレパンケーキ食べてみたいですし!」
「にいちゃん……」

 呆れてるユウキに、アランは、意志を強く持つんだよ、とアドバイスを送る。にいちゃん説得力ありすぎじゃん、とユウキは乾いた笑いを浮かべる。エルミスト商店街までいくかあ、とアランがユウキとともにロビーをあとにしようとしたとき、ベルクが舌打ちをする。それが聞こえたアランは、何事かと思って後ろを振り向くと、ほとんど同時だった。
 耳をつんざくような甲高い悲鳴と同時に、爆音が響く。何度となく爆音がする。爆音と同時に、建物も揺れる。思わず身を屈めるアランとユウキ。ベルクは飛んできた破片を、音もなく粉よりも小さく分解する。振動がやみ、爆音がなくなる。まだ爆音の余波か、揺れに慣れてしまったからか、体がぐわんぐわんと揺れているような感覚がアランたちにはある。ユウキを抱えるように伏せていたアランは、頭を持ち上げて周囲を伺う。
 ロビーは破壊された形跡こそないが、エレベーターホールにつながる廊下がめちゃくちゃになっているのが見える。アランに続いてユウキも顔をあげて周りを見渡す。二人が体を起こして何が起きたんだよ、と呆然としていると、スマートフォンを弄っていたベルクが、俺が三つ数えたら駅まで走れ、と言う。

「は? え、ど、どういう」
「何も考えるんじゃねえ。駅まで走れ。そんでもって、とっとと第四区域に向かうバスに乗れ」
「お、おっさんはどうするんだよ!」
「そうですよ! ベルクさんは……」
「あ? 俺がこんなところで死ぬタマにでも見えてんのか?」
「フラグじゃないですか、やですよ!」
「ぐだぐだ言ってんじゃねえ。ケツ蹴飛ばすぞ」
「うぐぐ……駅で待ってますからね! 待ってますからね!」
「にいちゃん……」

 ベルクさんなら大丈夫だよ、とアランはユウキを元気づけるように笑いかける。不安そうにしているユウキだったが、いち、と数を数え始めたベルクの声に思わず廊下を背にする。アランとユウキが廊下を背にして、玄関ロビーの自動ドア――先ほどの衝撃で、開きっぱなしになっているのを見ていることを確認したベルクは、に、と数字のカウントを続ける。
 さん、とベルクがカウントした時、ユウキとアランは走り出す。玄関ロビーのドアをくぐりぬけ、手入れされた前庭を走り抜ける。大きな道路に出ると、ためらわずに右に曲がり、ひたすらずっと走っていく。心臓が早鐘を打つ。血流が一気に身体中を駆け巡るものだから、耳の近くがじんじんと痛む。最寄り駅の出入り口が見えたところで、二人は足を止める。
 ぜえぜえ、と荒い息を吐く。心臓がばくばくと早鐘をがんがんに打ち続けている。手足に熱さを感じる。すっかり研究所は見えない距離まで走ってきたから、もう現地で何が起きてるかわからない。
 ガードレールにもたれるように、ずるずるとその場に座り込むアランとユウキ。お互いに息を整えてから、なにがあったんだろう、と先ほどの振動と爆音のことを考える。何度も繰り返された大きな音は、あきらかに異常事態だった。

「おっさん、大丈夫かな……」
「ベルクさんなら、たぶん、大丈夫だよ」
「そうかな……」
「ほら、スフレパンケーキ食べるまではさ、絶対死ななさそうな雰囲気あるじゃん……あれ、オレだけかな……」
「あー……ちょっとわかるかも……」

 おっさん、あんだけ啖呵切ったんだしな、とユウキは少し明るい顔をする。そうだよ、と励ますようにアランが笑って頷いてやれば、いたいた、駅の出入り口から声がかかる。それはアランには聞き覚えのある声だった。
 声がした方向を二人が振り向くと、そこにいたのは黒い半袖シャツに白のベストを着た篠崎美晴が立っていた。人の良さを強調するような丸メガネ越しの目を細めながら、迎えにきたよ、と手を振って近づいてくる。

「新しいおっさんだ!」
「美晴さん!? 今日お店は!?」
「うっ、僕ももうおっさんと呼ばれる年齢か……」
「ご、ごめん……」
「いいよ。実際、もうそういう年齢ではあるのは事実だしね。ちなみに、お店は閑古鳥が鳴いたからお休みです」
「そ、そんな軽いノリで休みにしていいんですか……」
「今から来るかもしれねえお客さんもいるかもしれないじゃん……」

 けろりと店は休みにしたと告げる美晴に、ユウキもアランも少しだけ引いた顔をしてしまう。そして、アランは美晴が言った迎えにきた、というのは、と尋ねる。ああそうだった、とすっかり忘れていたような顔で美晴は、ぽん、と手を叩く。

「ベルクくんからね、研究所の駅まで来い、って言われてさ。慌てて来たんだけど、なにかあったのかい? 駅員さん達もなんだか慌てているみたいだったけど……」
「あ! そうだ。あの、研究所で爆発音と揺れが何度もあって!」
「そうなんだよ! それで、態度のでっかいおっさんが残っちまってんだよ!」
「ん、んん? 研究所でなにかあったんだね?」
「そうなんだよ! おっさんが何も考えずに駅まで逃げろ、って! それで、自分は残ってるんだ!」
「なにがあったのかとか、オレ達全然分からなくて……」
「うーん……とりあえず、ここから離れたほうがいいとは思うな、僕は」
「なんでだよ! おっさんが残ってるんだぞ!」
「だって、ベルクくんってできないことは言わない、そういう人でしょう?」

 自分一人なら生き残れるって思ったから、君たちを逃したんじゃないのかな。
 ベルクのことを信頼しているのが伝わる美晴の言葉に、アランははっとする。今までの傲慢で独裁者染みたところはあったが、なんだかんだと面倒見がいいベルクを思い出す。最初に出会った時から、彼は一人で圧倒的な強者だった。むしろ、自分たちが今ここで引き返した方が、彼にとって足手纏いになる可能性すらある。
 わかりました、とアランが俯きがちに言うと、ユウキがでも、とアランの方を見上げる。ユウキに合わせるようにしゃがんだアランは、ベルクさんってめちゃくちゃ強いからさ、とユウキの小さな肩をそっと触れる。

「今オレ達がいったほうが邪魔かもしれないから、先にスフレパンケーキ食べに行こう? それで、おいしかった、って自慢しちゃおうよ」
「にいちゃん……」
「本屋でブックフォールディングの本も買ってさ、できたやつを見せるのもいいよね」
「……にいちゃん……」
「大丈夫だよ。ベルクさんなら、怪我一つしないで帰ってくるよ」
「……」
「大丈夫だよ。ベルクくんならさ。怪我して帰ってきたら、指さして笑うぐらいの気持ちで待っていようよ」
「おっさん……」
「オレ達が先にパンケーキ食べたら、きっと凄くベルクさん悔しがると思うんだ。だから、さ」
「……そうだな! 先にパンケーキ食って、あのおっさんを悔しがらせようぜ!」

 下を向いていたユウキは、ぱっ、と顔を持ち上げる。ベルクにパンケーキうまかったって教えてやろう、と息巻いている彼に、そうだね、とアランも頷く。ベルクから伝えられていた、二人を連れて離れろという指示を実行できそうでよかった、と美晴は内心ほっとしながら、おいしいパンケーキ屋さんってどこにあるんだい、と二人に尋ねるのだった。

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