1日目-昼01

「カッコイイなこれ……シンプルで……」
 
 アランは手首に巻かれたスマートデバイスを見ていた。手首を捻ったり、あちこちの角度から見ても、それはただのシルバーの飾り気のないブレスレットだ。ブレスレット、というにはいささか男性的で無骨なデザインであるのは否めないのだが。
 旅行者全員に装着されたそれは、現金をチャージして電子決済できるだとか、生命反応の確認のためとかなんとか……あとはなんか言っていたような気がするが、アランはよく覚えていない。島にいる間は身につけなくてはならないデバイス、という覚え方をしたからだ。あとは銀行口座の確認だったり、同意書を書いたりしていたから、ろくにスマートデバイスについての説明を覚えられなかったというのもあるのだけれど。

 ――そう、同意書である。
 百人に一人の確率を見事に引き当て、アランは生存権なしの旅行者になることができたのだ。そこそこ訪れる観光客が多いから――普通の旅行客もいるが、明らかにアランのような一攫千金狙いだろう人間もいた。運良く生存権を与えられなかった旅行者(生存権を返上した人物もいた)は、一箇所にまとめられ、会議室のような空間で一枚の紙を渡されるのだ。
 それは、このトランペッター・バーナード島で死ぬことに対する同意書。そして、それはどのような条件下であっても、一定金額が遺族に支払われるということの確認書でもあった。仮に死んだとしても振り込まれる金額は、一般大学生であるアランからすればとんだ大金であったから、死のうが生きようがたいへん助かる、というのが本音である。それでも生き残る予定であるが。
 
 電子決済、時計機能や、同意書の書面確認、第四区域全域がホログラムで投影されるマップなどが盛り込まれたスマートデバイスをなでながら、アランは多くの人が行き交う第四区域の出入り口に向かう。白いばかりの空間に、彩り程度に置かれた観葉植物があるだけの空間を出ると、そこに広がっていたのは目を焼かんばかりの鮮烈な白とアスファルトの黒、そしてどこまでも広がる、高く青い空だった。
 舗装された白いレンガが敷かれた歩道に、黒黒としたアスファルトの車道。植えられている街路樹や草花、街路灯やマンホールの蓋までもがスマートなデザインで、なんというのか、アランは異国に来た気分になる。ここは特別地区であって異国ではないのだけれども。
 思わずキョロキョロしてしまうアランは、出入り口からほど近い場所に、キッチンカーが出ていることに気がつく。それはどうやらクレープを販売しているらしい。鮮やかなピンク色をした車の傍らに置かれたメニュー表には、いわゆるおかずクレープだったり、オーソドックスなスイーツものが並んでいる。ちなみにアランはおかずクレープを食べたことがない。彼は意外と料理に対する冒険心がないもので、甘いものというイメージがあるクレープで甘くないものを頼めないのだ。
 一人の男性が注文している最中であるクレープのキッチンカーに向かおうとしたところで、アランは嫌な予感を察知する。ぱっ、と左半身をひねって振り返る。ちょうど彼の上半身のうち、左側があった場所にボウガンの矢が音を立てて通り過ぎていく。金属製のそれは、キッチンカーのボンネットをかすめて、入場口の壁にがすん、と突き刺さる。アランが、なんだ、と理解するよりも早くボウガンを放ったであろう、若い男がにやにやした顔のまま、指先を光らせる。
 若い男の顔に覚えがあった。以前、ネットニュースで出ていた男だった。たしか、内容はボウガンで野生の小動物を殺害して、ついにはどこぞの飼い猫を殺した男のはずだ。防犯カメラに写っていた彼は、容疑者として名前が出ていたはずだ。
 捜索中のはずの男がなぜ――そんなことが一瞬よぎり、そしてはっきりと明確に、今、自分の身に起こったことで理解した。こいつは指先か、手のひらか、ともかく鋼鉄製のボウガンの矢を射出できるフラッシュの持ち主なのだ、と。そしてそのフラッシュで小動物を殺害していたのだ、と。
 
 ――フラッシュ。閃光の意味を持つそれは、今では異能のことを指す言葉であった。
 発動時に指先が光る。そして、到底人間業ではない現象が起きる。それがフラッシュだ。フラッシュには様々な現象があるが、今アランが相対しているような危険極まりないものから、足が早くなるようなもの、髪の伸びるスピードを早めるなど多種多様だ。少なくともアランには、眼の前の男のような危険度の高いフラッシュは持ち合わせていなかった。
 
 にやつく男に、ここで死ぬにしても早すぎるだろう、と焦るアラン。ゆえに心臓は早鐘を打つように激しく鼓動し、考えはまとまらない。そして足は恐怖ですくんで、ぶるぶる震えるばかりで動きそうにない。絶体絶命。それが今のアランだった。
 ぎゅ、と手を握って足を少しばかり擦って移動しても、とっさに隠れられる場所を見つけることはできなくて――アランがひと思いに心臓に命中してくれたら、と思いつつ、この手の相手はそんな優しいことをしてくれなさそうだとも思いながら、ぎゅ、と目をつむる。目をつむったことで、音がより繊細に聞こえてくる。風が吹く音と一緒に、風を切る音が聞こえてきた。
 体に衝撃が加わること、痛みが走ることを覚悟してアランが目を閉じたというのに、一向に衝撃も痛みもやってこない。おかしい、と持って目を開けると、そこには黒地にストライプ柄の背中が見えた。背の高い、スーツ姿の男の背に庇われらしいが、男のどこからも出血は見られなくて、アランは混乱する。あの風を切る音ならば、ぶつかればどこかしら出血するだろう、そんな速度で射出されていたはずなのに、だ。

「人が飯食ってるときに、血生臭えことしてんじゃねえ」
「は、はは。何言ってんだよおっさん。ここは人を殺したっていいんだろ? だから、そいつはオレに殺されてもいいはずだ!」
「あ? あー……お前、移住者か。殺人権……あー、刑罰軽減されるだけの納税はしてるのか」
「はあ?」
「その反応だと、生存権も納税してねぇな……」

 はぁー、と面倒くさそうなため息を吐きながら、スマートデバイスを操作していた男は、ちらり、と背後にかばったアランを見てから、正面に目を戻す。
 後ろを見た男の、切れ長の目。そして、両耳にばちばちに開けられた大量のピアス。くわえられた紙巻きたばこの甘ったるい香り。襲撃者に対する面倒くさそうな対応。その全部がアランにこう思わせた。――物騒な人間に借りを作ってしまった、と。

「教えてやろうか。ただ住民税を納付しただけだとな」
「あ?」
「お前に殺人も許可されないし、それに付随する刑罰も軽減されねぇんだよ」
「はあ!?」

 驚く男に、スーツの男はかったるそうにタバコの煙を吐き出しながらぼやくように答える。
 そもそも、殺人はここでも御法度なんだがな、と。
 
「刑罰の減刑は高額納税者だけの特権だよ、ばぁーか。アホみたいな金を収めてから好き勝手することだったなぁ、クソガキ」
「そんなの、移住するときに聞かなかったぞ!」
「書類の端から端まで、細けえ文字までしっかり読まなかったお前が悪い」

 それはそう、とアランは思う。すっかりクセとなってしまった、端から端まで――それこそ、両面しっかり確認したアランは知っていた。旅行者であっても、納税を行えば、この区域で生きる人々と同じ権利が得られることを。
 納税で得られる最大の目玉特権とも言える、刑罰の軽減、規則を破っていい納税対象になるための額面もなかなかの額であること。そして、安心して生きるための生存権を第四区域で手に入れるには、五千万もの大金が必要最低ラインであることも。
 男の発言からして、捕縛して訴えれば勝てるような位置にあるようだし、と思うとアランは少しだけ恐怖心が薄まってくるのを感じる。圧倒的強者だった男が小物になったからだろう。それとは別の強者がいることから、ちょっとだけ目をそらしながら。
 怒りでがたがたわなわな震える男は、両手を男に向けて、同時に光らせる。ボウガンの矢がいくつも射出される。それは明確に男の胴を狙う。まっすぐにそれに対して、男は鼻で笑ったかと思えば、ボウガンの矢がしゅるしゅると、まるで玉ねぎの皮むきをするかのように削られて消えていく。何発も繰り出されたそれは削られて、地面に触れる頃には削りカスひとつも残らない。
 男は最大の攻撃の手段を奪われたからか、慌てたように後ろを向いて走っていく。それを目の端で追いながら、男はスラックスの尻ポケットからスマートフォンを取り出し、何やら触ったかと思えば、またスマートフォンをポケットに仕舞う。しばらくもしないうちに、けたたましいサイレンの音とともに、車やバイクが到着すると、逃げ出した男を濃灰色の制服の人物たちが確保して去っていく。
 あっという間の出来事に、アランがあっけにとられていると、運が良かったな、と男はクレープをかじりながら声を掛ける。甘ったるそうな練乳、キャラメルソース、ホイップクリームの組み合わせのクレープをかじる男を見上げながら、助けてくれてありがとうございました、とアランは震える声で礼を伝える。

「礼が言えるガキは嫌いじゃねえな」
「あはは……ガキっていう年齢なんですかね、大学生って」
「ガキだろガキ。礼は言葉だけじゃねえよな? まさかだと思うが」
「へ?」
「誠意は金で示せ」

 そう言って唇の端をめくるように笑った男は、コーヒーフロートが食いてぇ、というとアランの肩をがっしりと掴む。その力は強く、とてもじゃないが逃げることを許してはくれそうにない。
 旅費でだいぶさみしい財布事情になっていることを思い出しながら、命に比べれば安い買い物、とアランは腹をくくる。
 どこの店がうまいんですか、と男に聞けば、男は少しだけ目を丸くしてから、気になってる店がある、とアランの肩から手を剥がして歩き出す。大股で歩いていくスーツの大男の後ろを、アランは慌てて追いかけるのだった。

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