鈍い音を立てて雑居ビルの三階から落ちた男は、頭からゴミが満載しているポリバケツの中にあった。彼の首にはぎざぎざの切り傷がある。そこからだくだくと溢れる生命の色は、ポリバケツを静かに満たしていく。
その男の首をひっかき、落とした女はぴくりとも動かない男を見てからスマートフォンでメッセージを送る。
おわた、と単語だけのメッセージにハートの絵文字。帰ってきた返信には、近くのコンビニの地図情報と迎えに行く、とだけあった。
雑居ビルの中に戻り、女は賑やかな店舗の入った共有廊下を抜けると、一階にある一つのテナントに入る。そこはバーだったが、まだ開店準備をしている途中だったらしい。アルコールスプレーをもった店員や、テーブルやカウンターを拭いている店員が数人いるばかりだった。
開店前に入ってきた、黒いパーカーのフードを目深に被り、黒いマスクをしている女。しかし彼女を見た店員はどうぞ、と呼びかける。店員に呼びかけられた女は、ん、と吐息の多いややハスキーな声で頷く。
呼びかけた店員は、女をバックヤードに案内する。女はビニール袋に入った空き缶を捨てる。その空き缶の口は潰れて、ぎざぎざになっていた。ポイ捨てされた空き缶の哀れな末路だろう。血がついた空き缶を捨てた彼女は、つけていた黒い手袋をパーカーのポケットに外してしまう。壁にかけてあった鏡で、彼女はちょいちょい、と前髪を直す。
「コンビニコンビニ〜。えるちき買っちゃお〜」
バックヤードの扉から外に出た彼女は、少し離れた場所にあるコンビニエンスストアに向かう。足取りは軽くて、先程一人の人間の命を掻っ切ったとは思えないほどだ。
ふんふんふーん、と調子外れな鼻歌を歌いながら、女は青い看板が目印のコンビニエンスストアに入る。らっしゃーせー。やる気のない大学生のような店員が声をかけてくる。店員には目もくれず、女はアイスクリームコーナーに向かう。ちょっとリッチなアイスクリームの箱を一つ掴むと、ドリンクコーナーに向かう。
この時間にコーヒーはだめだからぁ、と独り言をつぶやきながら、彼女は黒い炭酸飲料のペットボトルを掴む。アイスクリームとペットボトルを手にした彼女がレジに向かうと、店員がらっしゃーせー、とやる気のない出迎えをしてくれる。えるちきレギュラーいっこ、と女が甘ったるい声で注文をすれば、店員はすぐにホットスナックの入った保温器からあげたチキンを取り出して紙袋に入れる。
袋に詰めてもらい、会計をスマートフォンのバーコード決済した彼女は、そのままコンビニをあとにする。駐車場には一台の黒いワンボックスカーが停まっていた。その車に躊躇いなく近づいた女は、んしょ、と声を出して車の扉をあける。
ワンボックスカーの助手席に収まった彼女は、黒いマスクを外してパーカーのポケットにしまう。フードをどかして、サイドは黒いのにそれ以外は真っ白に脱色した髪が現れる。
小さな頭にとろん、と甘い顔立ち。薄化粧でもかなりの美人だ。彼女はがさがさとビニール袋からアイスクリームの箱を取り出しながら、運転席に座る男に甘くとろけた声をかける。
「けーじ、ただいまぁ。あんね、ダッツ買っちゃったぁ」
「ほーけ」
「けーじもひとくちどーぞぉ」
「一口だけな」
「ん。あ、えるちきも食べる?」
「弥世、そんなに食うと太るぞ」
「えー? じゃあ、明日から運動する〜」
弥世、と呼ばれた女はフライドチキンにかぶりつきながら、敬司と呼ばれた男が一口食べたアイスクリームを受け取る。フライドチキンをかじりながら、弥世はしあわせ〜、とにこにこしている。
そんな弥世は、あ、と思いついたように口を開く。
「あんね、けーじ。みよ、マックいきたい〜」
「は? マック? こんな夜中にけ」
「ん〜、フルーリー食べたい〜。オレオのやつ〜」
「お前な……本当に太るでよ……」
敬司は呆れたようにため息を付きながら、車のキーを回す。シートベルトしぃ、と言う敬司に、はぁい、とフライドチキンを飲み込みながら、弥世はシートベルトに手を伸ばした。ういしょー、と言いながらシートベルトを弥世がしたのを確認してから、敬司は緩やかに車を発進させる。
カーステレオもつけずに走る車。車内ではフライドチキンを食べ終えた弥世が炭酸飲料を飲みながら口を開く。
「あんね〜、あの男ね〜。指の骨折れてた〜」
「ほーけ。ま、二股かけてたらしいでな。当然やろ」
「ん〜、みよ、ああいう男きらぁい」
「殺すんも嫌やったか」
「殺すのは別〜。ちょっとすっきり〜」
きっと女の子たちもすっきりしたよぉ。弥世は炭酸飲料の蓋をしめて、アイスクリームにかぶりつく。やや溶けかけのそれにかぶりついた彼女は、けーじの味がする〜、とにまにましている。
んなわけあるか、と言いながら、敬司は深夜まで営業しているファストフード店のドライブスルーに車を進める。窓を開けた敬司に弥世がオレオのフルーリーとポテトのちいさいやつ〜、と言う。いらっしゃいませー、と挨拶をしたインターフォンに敬司は、オレオのフルーリーとポテトSひとつずつ、と注文をする。
「ほんま太るぞ」
「明日から運動するもん〜。けーじもいっしょ〜」
「ベッドの上なら付きおうたる」
「やだ〜、けーじのすけべ親父〜」
「そのすけべ親父に股開いとるのは、どこのどいつや」
「ん〜、みよ?」
「ほな、同意やな」
「そうかも?」
フライドポテトとフルーリーの入った紙袋を受け取り、敬司は車を発進させる。弥世がフライドポテトを食べてながら、でもあの男殺してよかったの〜、と尋ねてくる。なんでそんなことを聞く、と敬司がただでさえ低い声を、さらに低くした嫉妬のような声色で尋ねる。
「ん〜……だって、いつもなら絞れるだけ絞るでしょ〜?」
「約束した期日までに金も返せんやつに用はないな」
「でもぉ、お腹のなかとか、売れるものあったんじゃないの〜?」
「あかんあかん。たばこも酒も毎日やっとるやつの中身なんざ、売るだけ損するだけやわ。質の悪いモン捌いたら、傷モン売ったって言われるだけやで」
「そう〜? じゃあ、ただのごみ?」
「そういうことやな」
ふーん、とつまらなさそうに唇を尖らせた弥世は、じゃあやっぱりゴミで切ってよかった〜、という。それを聞いた敬司は、お前ナイフあげたやろ、と苛立った様子でハンドルをとんとん、と叩く。
「なんで俺がやったもん使わんかったんや」
「だってぇ、もったいないな〜ってぇ。汚いカオしてたから、けーじからもらったの、汚したくなかった」
「……ほーけ。なら、ええ」
「えへへ〜」
「次はちゃんと使うてくれよ」
「ん。わかってる〜」
ふたりを乗せた車は住宅街にむかうために交番の近くを左折する。交番の制服警官はまだ雑居ビルで起きた出来事を知らないようで、深夜徘徊の児童たちに声をかけていた。