どうしてこうなった。
誰にともなく、アランは灯台の上で疑問を浮かべていた。
朝にベルクと灯台に観光に行く約束を無理矢理取り付け、準備を済ませたアランは息を切らせてフロントに向かえば、すでにベルクがそこで待っていた。遅ェ、と文句を言う彼をなんとかかんとか音便になだめすかせて、電車に乗るための駅に向かう時だった。
やあ、と後ろから声をかけられ、振り向いてみればそこにいたのは昨日訪れた喫茶店のマスターだった。偶然だねえ、と言いながら歩いてくる彼に、そうですねえ、とアランはにこやかに返事をする。ベルクはけっ、とつまらなさそうにしているが。自己紹介がまだだったね、と篠崎美晴と名乗った彼に、アランも自己紹介をする。俺もか、とベルクが嫌そうにいえば、できたら、と美晴はにこやかにいうものだから、ちっ、と舌打ちをしてからベルクも名前だけを名乗る。
機嫌の悪いベルクに、約束は反故にしないでくださいよ、とアランは小声で声をかける。当たり前だ、と言う彼に、本当かなあと心配になりながらも、アランは今日は灯台にいくんです、と行き先を告げる。
「ヘルトリープ灯台かい?」
「はい!」
「いいねえ。あそこは綺麗に花も植えられているから、SNS映えするって聞いたよ。行ったことないけどね」
「そうなんですね! じゃあ、ちゃんと写真撮らないと……」
「……そうだ。僕もついていっていいかい?」
「へっ!? いいですけど……いいですよね?」
「勝手にしろ」
「別についてきてもらうのはいいんですけど……お店は……」
「今日は休みなんだ」
道楽でやっているから、いつ休みにしてもいいのはいいよね。
そうくすくす笑う美晴に、それでいいのか、とちょっと引いた顔をするアラン。住んで長いつもりだけど、なかなか観光地っていかないからさ、と美晴は駅はこっちだよ、と美晴はアランを促す。はーい、と美晴についていくアランとベルクは、駅の近くで人だかりができているのを目撃する。なんだろう、とアランが口に出すと、ここが現場らしいよ、と美晴は難しそうな顔をして告げる。現場、と言う単語と美晴の表情でアランは理解をする。ここがニュースになっていた変死体がふたつ出た場所なのだろう。
気分の悪そうな顔をしたアランに、長居は無用だろ、とベルクはさっさと人だかりの後ろを歩いていく。そうだね、と美晴もアランの腕を引いて歩いていく。腕を引かれながら、こうも簡単に死と遭遇してしまうのはなあ、とげんなりした気分になるアラン。
「どこにでもいるんですね、ああいう、事件があると気になってくる人」
「まあね。人の習性みたいなものなんじゃないかな。自分が害されない位置から、恐怖を痕跡を見るのは」
「そうかもしれないですけど……なんていうか、気味が悪いっていうか……」
「気持ちはわかるなあ」
疲れた様子のアランに、しみじみと頷く美晴。そんな美晴の様子に、ベルクは、小さくお前が言うのか、とぼやきそうになる。美晴のような道楽で店を経営しながら、減刑の対象になる人間が何を言うか、と言わんばかりの表情を思わずベルクは浮かべてしまうが、アランにも美晴にも見られていなかった。
切符売り場でヘルトリープ灯台までの切符を買うアランに、スマートデバイスに現金をチャージするベルクと美晴。一瞬、アランもデバイスにチャージするか悩んでから、何回スマートデバイスでの決済をするか分からないしな、とチャージを取りやめる。
ホームに向かうためにエレベーターに乗っていると、賑やかな声が聞こえてくる。どうやら、ホームには親子連れがすでに何人もいるようだ。灯台もいいけど、動植物園がある第一区域や第二区域も観光にいく人は多いからねえ、と美晴は笑う。研究施設の一部を一般開放もしているだけだがな、とベルクは付け足して説明する。
「動植物園があるってことは、水族館も?」
「あるよ?」
「本当ですか! 行きたいなぁ……」
「水族館なんぞ、どこでも変わらねぇだろうが」
「変わりますよ! ねえ、美晴さん」
「変わるねえ。ベルクくんはそういう機微に疎いんだねえ」
「けっ、言ってろ」
三人がホームの片隅で言い合いをしていると、電車が滑り込んでくる。滑り込んできた電車に乗って、美晴が次の駅で乗り換えするよ、と言う。わかりました、とアランが返事をするのと同時に、電車が走り始める。何事もなく走り出した電車は、特に何事もなく次の駅に到着する。電車ジャックなどなくてよかった、とほっとしているアランに、そんな物騒な街じゃないよ、と美晴は苦笑する。
「だって、夜中にあんな恐ろしい事件があった後だと、もうなにがあるか分からないんですよね……」
「まあ、気持ちはわかるけどね。彼女たちもきっと、苦しかっただろうね」
「……ん?」
「ベルクくん? どうかしたかい?」
「お前、よく彼女たちって断言できたな」
「あ、そう言われると……」
「……なんとなく?」
「……そうか」
ふふふ、と少しだけ困ったように微笑む美晴に、ベルクはじろっと睨め付ける。緊迫した空気が二人の間に入ったが、ベルクが先にため息一つついて、睨むのをやめる。剣呑とした空気がなくなったことにほっとしながら、アランはそろそろ目的の駅ですよ、と電光掲示板を見ながら言う。本当だねえ、と美晴もその話題に乗る。
海に行くのは学校行事ぶりかもしれないなー、と楽しそうに電車を降りるアランに、灯台のあるところは断崖絶壁だから泳げないけど本当に綺麗だよ、と美晴も楽しそうに笑う。改札口を抜け、ホームから出口に向かう。駅構内に設置されているコンビニエンスストアにも、灯台関連の土産物が並んでいる。どこにでもクッキーのお土産はあるんですね、とアランが指で指し示すと、定番だよね、と美晴も笑う。配り歩くのに楽らしいな、とベルクがいえば、ベルクさんそういうの配ったりしなさそうですよね、とアランが言う物だから、ベルクはじろっと睨め付ける。
その強い視線に肩をすくめながら、アランたちは駅の出口を抜ける。照りつけるような夏の日差しは、赤茶色のレンガをしっかりと照らしている。青緑色の看板には、大きくヘルトリープ灯台までの道のりが書かれている。
夏の花々が植え込みで私を見て、と咲き誇っているのをよそに、三人は灯台までのなだらかな上り坂を登っていく。日差しは強いが、汗がとまらないほど暑いわけではなく、不快感はない。
なだらかな上り坂を登りきると、そこには真っ白く大きな灯台がそびえ立っていた。修繕費も兼ねているのだろう、入場料を支払い、中に入る。
ひんやりとした灯台の内部を、ほかの観光客たちと登っていく。ところどころに扉があり、食料庫だったり、備品置き場と扉に書かれている。災害時の拠点にもなるのかもしれない、とアランが思っていると、ぱっ、といっそう明るい光が飛び込んでくる。
「うわあ……!」
「絶景だよねえ」
「灯台なんざ、どこでもこういう光景だろ」
三者三様の感想を口にしながらも、落下防止柵のぎりぎりまで近寄る。アランの胸元まである柵にもたれ掛かりながら、ベルクは棒付きキャンディーを口に入れる。ごりごりと小さく音が聞こえてきて、舐めないんだ、となんとも言えない感想を口にしそうになるアラン。
真っ青な、どこまでも青く抜けるような空に、白い綿菓子のような雲がいくつか浮いている。波も空に負けず劣らず青く、水平線の向こう側は空と混じりあっている。
見渡す限りの青。絵画のように綺麗な光景に、凄い……とアランは感動しきりだ。スマートフォンで撮影している彼の肩を叩いた美晴は、さらに綺麗なものを見せてあげよう、とアランにウインクをする。
不思議そうに首を傾げるアランをよそに、美晴は白の手袋を外す。スラックスのポケットに手袋を入れた彼は、ぱちん、と指を鳴らす。つまらなさそうにしていたベルクも、ちら、と美晴を見る。
「そうれ!」
ぱちん、となった指に指先から瞬く閃光。白い光が一瞬駆け抜けると、彼の指に水でできたカモメが乗っていた。
「わあ……!」
「驚くのはここからだよ。さあ、スマートフォンを構えておいて」
そう言った美晴は、指に乗せた透明な水で出来たカモメをひゅん、と飛ばす。カモメはまるで、最初から生き物でしたよ、と言わんばかりの顔で、空を滑空していく。
灯台から離れていくほどに、その姿はカモメから崩れていく。形を保てなくなった水は、そのまま崩れて海に混ざっていく。一連の水の動きに、どうだったかな、と恥ずかしそうにしながら、美晴はアランに尋ねる。スマートフォンをビデオカメラモードにしていたアランは、録画をとめるとキラキラした目で美晴を見上げる。
「すごいです! え、え、今のフラッシュですよね!?」
「いいや、手品だよ」
「フラッシュですよね!?」
「ふふ、そうだよ」
「水を扱う系ですか? 凄いなぁ……」
「種も仕掛けもございません、ってやつさ……おっと」
「お前が調子よくあんなことをしてくれたおかげで、ガキが集まってきたじゃねえか」
うるせぇったらありゃしねえ。
けっ、と気分悪そうにしているベルクが言うように、美晴の周囲では幼い子どもや、カップルだろう若い人々が集まり始めている。まだ大人たちは距離をとっているが、子どもたちは親が気を引こうとしても、こちらをキラキラとした目で見るばかりである。
うーん眩しいと言いながら、悪い気はしないのだろう。美晴はパン、と両手を合わせて音を鳴らすと、開いた手から次々に水分でできた、透明なカモメを生み出す。そおれ、とカモメたちを一斉に空に放った彼の周りでは、きれい、とか、すごい、とかそう言った声が上がる。灯台の周辺をぐるぐると回っていたカモメたちは、そのうち重力に耐えきれなくなったように形を崩していく。
海の中にぱしゃん、と落ちていく鳥たちに子どもたちが残念そうな声をあげるのを背に、そそくさと美晴は灯台の中に戻っていく。捕まらないようにしれっと消えるつもりなのだろう、と考えて、アランはいいものを見せてもらったしな、と満足した表情でその後についていく。ベルクは美晴のやってのけたショーを思い出しながら、スマートフォンを操作する。
一本、メールを送ってから灯台の中に戻った彼は、先を歩くアランと美晴の背に、チョコレートサンデー、と声を投げかける。甘いもの好きなんだねえ、としみじみ言う美晴に、おすすめのお店どこですかね、とアランは財布が寂しくなることを予感しながらぼやくのだった。