3日目-朝

 朝早くからユウキとベルクに連れられてアランが訪れたのは、第一区域にある巨大な研究所だった。医療施設も併設しているらしく、エントランスまでついてきてくれたベルクが、帰りはふたりそろって迷子になるなよ、と鼻で笑われる。実際、トランペッター・バーナード島に住んでいるユウキも初めて訪れる場所であったために、第一区域に着いたときに少し迷子になったのだ。
 医療施設のほうにむかうベルクに、気をつけます、とアランが困ったように笑って見送る。

「態度の悪いにいちゃんだよなー、ベルクにいちゃん」
「ベルクさんってずっとああだから……」
「あーゆーのは女の子から嫌われるんだぜ! にいちゃんも気をつけろよな」
「そうだね。人の振り見て我が振り直せ、ってやつだね」
「なんだそれ」
「なんだっけ……えーっと、他人の行動を見て、良いところは見習い、悪いところは自分の振る舞いを反省し、直すべきところは改めよ、だって」
「まさにあのにいちゃんのことじゃん」

 へへ、と頭の上で腕を組んで笑ったユウキに、調べ物に使ったスマートフォンをパーカーのポケットにしまいながら、アランも笑う。
 総合受付、と書かれているカウンターの女史に、夏の公開講座に来たんですが、と伝えると、驚いたような顔をされる。そして満面の笑みを浮かべた彼女は、右手のエレベーターホールから七階にあがって、七〇二大会議室です、と案内する。
 ありがとうございます、とユウキとアランは頭を下げる。七階だってよ、と勇み足で歩いていこうとするユウキに、まだ時間があるよ、とアランは笑う。

「あそこの売店、ちょっと見ていかない? 珍しいものあるかも」
「え! 売店なんてあったのかあ。行く行く! まだ一時間もあるもんな」
「そうそう。早く着きすぎちゃったからね」

 二人は広々としたエントランスの片隅に追いやられている売店に向かう。ちょっとしたお菓子や、軽食が並び、缶やペットボトルの飲料が並んでいる。炭酸ジュースはないんだな、とユウキが唇を尖らせる。大人の人ばっかりだから、コーヒーとかただの炭酸水が好きなのかも、とアランが言うと、大人ってかっこいいな、とユウキは目を輝かせる。
 きらきらとした目で、大人って炭酸水のまずいやつ飲めるんだな、としきりに頷いているユウキに、アランはさっきのベルクは飲まないと思う、と言うのを飲み込む。それは、せめてもの矜持だった。
 ちょっとしたお土産コーナーには、フラッシュクッキーと銘打たれた、普通の二十四枚入りのバタークッキーだったり、キーホルダーが並んでいる。所謂ゆるキャラと言われる謎のキャラクター商品も並んでいる。うさぎのような垂れた耳と体を持ち、目はボタンで縫い止められたようなデザインのそれは、パーツごとに色が違う。ショッキングなビビッドピンクの右腕に、ビビッドな青い左腕。右の足はビビッドなパープルだし、左の足は目の覚めるような赤だ。顔にいたってはこれでもか、と言わんばかりのビビッドイエローで、右耳だけは白いが、左耳はビビッドグリーンときた。色の大洪水、とアランがぼそりというと、バーナードバニーじゃん、とユウキが覗き込む。

「知ってるのかい?」
「知ってるも何も、島のマスコットキャラだぜ! まあ、ちょっと色はやばいけど」
「あ、やっぱり色はやばいんだ」
「アニメもやってるんだぜ、夕方の六時五十五分に五分アニメ」
「へえ。どんな内容なの?」
「バーナードバニーが買い物したり、あとは飯作ったり!」
「おじゃる丸みたいなノリだ」
「おじゃる丸?」
「あ、こっちでは放送されてないんだね。バーナードバニーみたいに、おでかけしたり、遊んだりする番組だよ。プリンが大好きなんだ、おじゃる丸」

 オレも久しく見てないんだけどね、とアランが言うと、大人になると見なくなるよな、とユウキはぶすっとする。
 ちなみにバーナードバニーは島内では結構な人気を誇るゆるキャラである。
 
「そうそう。バーナードバニーはひまわりの種が大好きなんだぜ」
「ハムスターじゃん!? キャベツじゃないんだ……」
「バーナードバニーって、ハムスターのパパと、うさぎのママから生まれてるからなー」
「ハイブリッドだったんだね……」

 意外と設定が濃いバーナードバニーに驚きつつ、アランは家内安全の鈴つきお守りバーナードバニーキーホルダーを手にとる。買うのか、とユウキに尋ねられて、見てたら可愛くなってきてさ、と頬をかいてアランは会計に向かう。手早く会計を済ませ、背負ってきたリュックサックにバーナードバニーのキーホルダーを取り付ける。ちりりんちりりん、と小さく鈴の音が鳴る。

「にいちゃんがはぐれても、鈴の音でわかるな!」
「うーん、はぐれるのは恥ずかしいけど、実際それで見つけてもらうことありそうだよねえ……っと、そろそろいく?」
「あ、本当だ。そろそろ行こうぜ。このぐらいだったら、たぶん、早すぎないだろ」
「三十分前なら大丈夫じゃないかなあ」

 そんなことを言いながら、二人はエレベーターホールに向かう。公開講座まで三十分を切ったと言うのに、未だ研究所にはアランやユウキのような、いかにもな参加者は見当たらない。それゆえに、アランはもしや参加者は二人きりとかじゃないよな、とちょっと不安に思う。
 エレベーターホールに向かい、エレベーターに乗り込む。七階まで音もなく静かに上昇するエレベーター。
 ちん、と音と共にわずかな振動をつれて扉が開く。七〇二大会議室、とエレベーターホールに貼られているフロアマップを二人で確認していると、ちん、とエレベーターホールにエレベーターが到着した音が響く。別の参加者かな、とアランだけが振り返ると、そこにいたのは赤い女だった。
 髪は染めた形跡などないほど、美しい赤。なめらかな赤い髪を高い位置でツインテールにしている。毛先に向かって緩くウェーブしている長い髪は、腰の位置にある毛先まで真っ赤だ。爪も唇に引いたルージュも当然艶のある赤で、着ているゴシックなドレスも赤一色だ。ハイヒールも当然赤だ。ストッキングは黒だが、ネックレスのトップには赤い宝石が収められている。サングラスのレンズも薄い赤で、レンズ越しの瞳も血よりも赤い。
 ここまで真っ赤だというのに、赤に飲まれることのない女の存在感は異質だった。むしろ、この女のために赤という色は存在しているのではないか――そうアランは思いすらした。
 真っ赤だ、と女に気がついたユウキがぽそりと空気を揺らす。そうだね、とアランも小さく肯定する。
 二人の存在に気がついた女は、かつかつ、とヒールを鳴らして二人の前に立つ。成人男性の平均ほどのアランよりも、頭ひとつ近く小柄なはずの女性だが、その威圧感はずっと体を大きく見せている。ユウキはさっ、とアランの足に隠れる。アランは、不躾に見すぎたことを謝罪しようとするが、口をパクパクさせるばかりで、何一つとして言葉が出てこない。そんなアランを頭の先から靴の先まで見た女は、ふっ、と笑う。

「覚えておきなさい、山崎アラン」
「はい! ……あれ、なんでオレの名前を……?」
「そんなことはどうでもよくってよ。山崎アラン」
「んん!? はい!」
「あたくし、ミネア・アイネ・ウィルバーホースのために生き残ることね」
「へ……?」
「あなたたち、これから公開講座に行くのでしょう。そこの角を右に曲がって突き当たりが会場よ」

 あたくしは別の用があるから、一緒に行けないのが残念だわ。
 それだけ言うと、ミネアと名乗った女はヒールの音高く、指差した方向とは別の通路に向かっていく。左に折れていった彼女を、ただただ無言で見送ったアランとユウキは、彼女が完全に見えなくなってから、はあ、とため息をつく。

「……にいちゃん、知り合い? あの真っ赤なねえちゃん……」
「しらないよぉ……」
「だよなあ……」
「と、とにかく会場に行こうか。ええと、こっちの通路を右だったね」
「そうだって言ってたな!」

 いそいそとアランとユウキは七〇二大会議室に向かう。まだ人は誰もいないらしく、好きな座席を選び放題だった。
 見やすい位置にしよう、と二人は中央で前が開けている座席を選ぶと並んで座る。ちょん、と座った二人は、誰もこないとかないよね、とひそひそと話し合いはじめるのだった。

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