4日目-朝

「おはようございます……」
「おう、喉がっさがさじゃねえか」
「昨日、そこそこ飲んじゃって……」

 二日酔いはしてないんですけど、全身浮腫んでる気がします。
 ぼさぼさの髪に浮腫んだ顔。だるそうに閉じられた目に、ガサついた声。ベルクは隣の部屋から出てきたアランが、それなりに酒に弱いことを察する。それでも朝食ビュッフェに向かおうとするのだから、なかなか元気なものだ。アランの場合、育ちが育ちゆえのもったいない精神からきているのだが、そんなことはベルクは知ったことではない。
 二人並んでエレベーターに乗ると、ベルクが口を開く。出て来たのは、スプラッター映画みたいな事件が起きたらしいぞ、の言葉だった。

「ううう……十八禁ものの映像はちょっと……」
「さすがに映像は出てねえよ。旅行者だったらしいんだが、まあ災難なことだよな」
「ちょこちょここの島、物騒な怪事件起きてますよね。呪われてません?」
「呪われてるなら、もっと怪事件起きるだろ。頻度が少ねえから呪われてねえよ」
「そういうもんですかねぇ」

 アランはヨーグルトをなみなみ器によそう。ブルーベリージャムをたっぷりと乗せる。どうにも食欲がなくて、ヨーグルトだけで十分かもしれない、と思ってのことだ。ベルクはトーストにヨーグルト、ジャムをいくつかとサラダにスクランブルエッグ、焼かれた分厚いベーコンを三切れほど皿に装っている。相変わらず食べますよね、とげっそりした様子のアランが言えば、食えるときに食わねえと食いそびれる仕事なんでな、とベルクはトーストにジャムを塗りたくる。
 そう言えば気がついたんですけど、とアランは独り言のように呟く。事実、それは独り言だったのだろう。そう思ったベルクは、何も言わずにトーストにかぶりつく。

「日本の本土だって、別に生存する権利が確約されているわけじゃないんだよな、って思いまして」
「へえ?」
「その、法律でたしかに故意に傷つけたり、死に至らしめたり、詐欺を働いたりしたら、そりゃあ逮捕されて処罰されるじゃないですか。でも、それって、別にオレたちが生きていることを確約しているわけじゃないんだよなって、昨日酒を飲みながら思ったんですよね」
「随分哲学的に酒を飲んでるんだな。アルコールも不味くなるな、そんなやつに飲まれたら」
「うーん、それを言われると、まあ、なかなかなんともかんとも……で、ここの旅行者みたいに、絶対に他人から故意に怪我や生存を脅かされない権利なんて日本本土ない、って思ったら、なんていうか、おどおどしてるのがバカらしく感じちゃって。そりゃあ、たしかに害されることもあるかもしれないですけど、ここにだって警察はいるんですから、訴えればいいんだよなって気がついたんですよね」
「酒飲みながらか」
「酒飲みながら、ですね。ちょうど、飲んでた居酒屋の近くに交番があったっていうのもあるんですけど……で、そのことに気がついたら、なんか全部バカバカしく見えちゃって。日本の本土でだって、気を張って暮らしてないんですから、同じように過ごしてもいいんだって思ったんですよね」

 というわけで、今日は昨日飲んだ分、今から寝て過ごそうかなって思ってます。
 ヨーグルトをしっかり食べ切ったアランは、にぱっ、と人好きのする笑顔を浮かべる。そもそも一週間の生存で莫大な富と名誉をもらう人間は、こうした休息をしっかり取れる人間だと思うんですよね、とアランは言う。そうかもな、とベルクはトーストを飲み込みながら返事をする。何人生き延びているのか知りませんけど、とアランがぼやけば、そもそも旅行者の全員が一週間の滞在者とは限らねえしな、とベルクは返事をする。

「それは……そうですよね!?」
「どうしても気になるっていうなら、一週間滞在する生存者の一覧を見せてやってもいいぞ」
「え……ベルクさん、見られるんですか?」
「お前のでも、篠崎のやつのでも見られるな。高額納税者と生存権のない旅行者なら、閲覧可能な情報だな」
「そうなんですね……うーん、なんていうか、趣味が悪い賭けごとに巻き込まれた気分……」
「で、見るのか、見ないのか」
「ううっ……! うーん……うーん……! ……見たい、です!」

 悩みに悩んだアランが見たいと言えば、ベルクはアランの腕を掴んで、彼のデバイスを操作する。立体映像として投影されたリスト一覧には、思いのほか生き残っている生存権のない人は少なく、それを指摘するアラン。

「愉快犯が殺して回っているか、道楽金持ちどもが手回ししてるかのどっちかだろ」
「道楽金持ちの手回しって……」
「……この間の、真っ赤な女のことは覚えているか?」
「え? ああ、はい。ミネアさんですよね」
「あいつ、ゲームの出資者の一人でな。生き延びた人に贈られる富の一部はあいつの私財だな」
「わ、わぁ……!?」
「全員が全員生き延びたらつまらねえからな。出資者の手の内のやつらが危害を加えたり、出資者のお気に入りを唆したりして人数を減らしているんだよ」
「なんともまあ……なんともまあ……え、ていうか、ベルクさん、それオレに言っていい情報なんですか?」
「口止めされてねえしな。あー、しっかし随分まあ減ってるな」

 このまま運が良ければ、お前が賞金独り占めできるかもな。
 ベルクの口から明かされた事情に、アランは頭を抱えたくなる。二度寝したい気分はもうどこかに行ってしまった。この間一緒にパンケーキを食べた女性が、趣味の悪いゲームの出資者の一人だというのだから、世間は狭いものである。
 しかし、莫大な金額が手にできるかもしれない状況を見てしまうと、なおのこと気をつけたほうがいいのかもしれない、とアランは考える。さきほどまで日本本土にいるときと同じようにあろうとしたというのに、だ。
 あー、だの、うー、だの、呻いているアランに、ベルクは二度寝すんじゃねえのか、と尋ねる。しようって気持ちが失せました、と空の器にスプーンをいれたアランは項垂れる。そういえば、とアランは思い出したように口を開く。

「そういや、昨日美晴さんに会ったんですよ。居酒屋からの帰り道で」
「ほーん」
「あ、めちゃくちゃどうでもよさそう。で、そのとき、一瞬血の匂いがしたんですよね」
「……へえ?」
「風向きの関係だったのかな、って思ったんですけど、たしか、美晴さんの後ろから血の匂いがしたんですよね」

 ネズミでも怪我しちゃったのかな、と不思議そうにアランは首を傾げる。そんな彼をよそに、少しだけ考えたベルクは、どのあたりだ、と尋ねる。酔っていたので、あんまりしっかり覚えてないですよ、と前置きをしてから、アランは昨晩美晴と遭遇した場所を告げる。そこは飲食店の裏口や、繁華街のゴミが集まる路地の近くだったために、なんとなく美晴に似つかわしくなくて覚えていたのだ。
 とりあえず二度寝してきます、と立ち上がったアランを見送り、ベルクは一人考える。
 彼の部下が集めてきた情報によれば、水分が抜かれた死体も、内側から破裂するように死んだ死体も、特徴として異常なまでに水分を奪われていたり、増やされていたことだ。不定期でこうして島の住民や旅行者を狙った怪死事件は起きているのだ。犯人の痕跡らしい痕跡も残っておらず、捜査も難航を極めていたのだが――

「都合がいいのかなんなのか……まあ、面ァ拝みに行ってやるか」

 ベルクは空になった皿をテーブルに残して立ち上がる。腹ごなしがてら、向かう先は美晴が営むコーヒーショップだった。

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