美鶴と仁科は神鳥本家の商店街にいた。本家邸宅敷地内には、温泉や映画館、劇場といった娯楽・休養施設のほか、邸宅内でのみ利用できる仮想通貨・ゆかり(一円=一ゆかりである)が利用できる商店街・緋鳥街(ひとりまち)がある。商店街やその他施設は、一線を退いた高齢スタッフや、休職中のスタッフが運営している。警備部門スタッフだった男性がパンをこねていたり、素材開発主任研究員だった女性が喫茶店でコーヒーをいれていたりしている。小学生程度の子どもたちが遊びの一環として、邸宅内郵便局でメッセンジャーとしてアルバイトをしていたりする。
そんな邸宅内の商店街で、美鶴と仁科は喫茶店で緑茶を飲んでいた。秋めいてきた空気に似合う、穏やかでからっとした香りのあたたかな緑茶をすすって、出されたほうじ茶のわらび餅を二人でつつく。とろり、と口に入れただけでとろけるほど柔らかいのに、黒文字で刺しただけでは崩れることが無い。繊細なわらび餅に満足げな仁科を見ながら、美鶴はもう一つ食べる、と首をかしげながら自分の分のわらび餅を差し出す。
「……それは美鶴様のものです」
「わたしが貴臣さんに食べて欲しいな、って……」
「ですが、」
「あのね……わたし、あーん、ってしてみたかったの……えへへ……だめ、かな……」
「だめ、ではありません」
「本当?」
「はい。それでは、失礼します」
「ふふ、うれしいな……はい、どうぞ」
手を添えて差し出した美鶴に、大きな口を開けて、仁科は黒文字の先にある薄茶色のわらび餅を迎える。彼の口の中に収まった小さなわらび餅は、いつもよりも丁寧に咀嚼されていく。ちなみに、このやりとりは超小型防犯カメラ(超高解像度)を通して、映像も音声も録画されている。防犯カメラ映像をチェックしている部署のスタッフたちは、突然の推しの過剰供給に過呼吸を起こしたり鼻血を出したり、暴れる情緒のままにスクワットを開始するものもいた。
そんな一部界隈のことなど知らない美鶴と仁科は、変わらず喫茶店にいた。柔らかい日差しの差し込む窓辺で、ふたりはのんびりとほうじ茶を啜っていた。
「やっぱりここのわらび餅、好きだなあ……」
「そうですね。商店街のさくら堂のわらび餅もおいしいですが、こちらは馴染んだ味、というのでしょうか」
「うん。さくら堂さんもおいしいけど、こっちは食べ慣れてて安心するの」
「はい。美鶴様の仰るとおりです」
「同じわらび餅なのに、全然違ってて……でも、どれもおいしくて……」
にこにこしながら、美鶴は目を閉じる。その表情はおだやかで、さくら堂のわらび餅の味を思い出しているようにも見えた。
ぱち、っと目を開けた彼女は、そうだった、と口を開く。
「貴臣さん。週末のお祭り、どんな格好でいこうかしら……」
「週末の祭りというと……商店街主催のハロウィーンのお祭りでしょうか」
「ええ。ほら、仮装していい、ってポスターにあったでしょう? だから、ちょっとおめかししたいな……って」
どんな仮装がいいかしら。そう楽しそうに微笑む美鶴に、美鶴様ならどのような格好でも似合うかと、と仁科は口を開く。お兄さまたちと同じことを言うんだから、と美鶴はちょっとだけじっとりとした目で仁科を見る。
「貴臣さんは……フランケンシュタインとか似合いそうかも……」
「フランケンシュタイン、ですか」
「うん。あ、でも他にもいろいろあるよね、仮装って……」
「ええ。ハロウィーンですと……魔女やカボチャでしょうか」
「そうだねぇ……」
仁科はほうじ茶の入った湯飲みをテーブルに置くと、少しだけ考える。普段は妄想などしない仁科だが、今回は少しだけ違った。美鶴がハロウィーンの仮装として何を着るか、考えたのだ。魔女やおばけのようなコスチュームも悪くはないが、今ひとつ美鶴らしいという感じはしない。美鶴はおだやかで、人に害をなす存在ではないから、魔女やおばけのようなイタズラをするような存在とは食い合わせが悪いのだろう。
美鶴は、そんなに真剣に悩まなくてもいいんだよ、とちょっと困ったような笑顔だった。思いがけず黙り込んでしまった仁科に、困らせてしまったと思ったのだろう。
そのとき、ちょうど喫茶店の窓に子猫の影が入る。黒い子猫がととと、と走っていて、その後ろを悠然と親猫だろう大きな黒猫が歩いている。それを視界の端におさめた仁科は、猫はどうでしょうか、と提案する。美鶴の綺麗な手入れの行き届いた黒髪に、黒い猫の耳はきっと似合うだろう。
提案された美鶴は、猫、とオウム返しする。ぱちくり、とちょっと驚いた表情の彼女に、パジャマのうさぎ耳のようにパーカーの上着に猫の耳をつけるのならば、部屋で着用する衣服としても使えるのではないか、と仁科は言葉を重ねる。どうしても見たい、というわけではないが、仁科としては美鶴にこれ以上無いほど似合うだろう存在を思いついてしまったから、思わず言葉が増えてしまう。
そんな仁科に、ちょっとだけ考えた美鶴は、じゃあ貴臣さんも猫になるの、と尋ねる。
「私も、ですか」
「うん。……あ、でも貴臣さんはオオカミのほうが似合うかも……」
「……おそれながら、私も仮装をする、ということでよろしいでしょうか」
「うん。……あれ? 貴臣さんはしたくなかった……?」
「いえ……少し驚いてしまって。美鶴様とおそろいの衣装、楽しみにしております」
「ふふ、うれしいな」
貴臣さんと一緒の猫の格好で商店街歩いて、こっちも来ようね。
そう笑った美鶴に、仁科は承知しました、とだけ答えて、残り少なくなったほうじ茶を飲み干した。