『初めてだった』から始まり、【月】の出てくる話

『初めてだった』から始まり、【月】の出てくる話(予備:手帳・沼) #お題ガチャ #書出ワード https://odaibako.net/gacha/171

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 初めてだった。美鶴にとって、屋外で自分で肉を焼くという行為が初めてだった。時々、本邸スタッフの家族たちが、家庭持ちスタッフ向けの敷地でバーベキューパーティーなるものを開いているのは知っていたし、何度かお邪魔したこともある。しかし、そのときは全てスタッフたちが肉を焼き、とりわけまでしてくれるのだ。
 神鳥家は福利厚生もしっかりしており、本邸スタッフたちは基本的に配属先の独身寮ないしは家族向けの寮に入ることになっている。スタッフたちが配属先や、部門を超えて交流を深めていくたびに、彼ら彼女らが恋に落ちることも珍しくはない。神鳥家本家は、スタッフたちも含め巨大な家族のようなものだと認識しているので、職場恋愛を否定はしない。むしろ職場恋愛から結婚に至るのが彼らの普通だった。休日も神鳥本邸で過ごすことが多い(大抵の休養施設や娯楽・アクティビティ施設が揃っているため、わざわざ外部に出かける予定を立てないのだ)スタッフたちなのだ。
 仁科のように幼少期に才能を見いだされた天涯孤独な子どもや、スタッフたちの愛の結晶たちが成長して神鳥本家のスタッフとして働いていることが多い。ちなみに、スタッフの子どもたちが両親と同じ配属先になるかは、彼らの才能の方向性によるので、親子が別部門になったり同じ部門になったりする。幼少期から仁科ほどではないが、ずいぶんな英才教育をほどこされる子どもたちは、その八割が神鳥本邸のスタッフとなる。残った二割は外郭組織に就職している。

 ……閑話休題。
 少なくとも、バーベキューパーティーそのものは美鶴はしたことがあるが、どの部門、どの家庭が主催しても、彼女が肉を焼くということはしなかった。強いて言えば、仁科が代わりに肉を焼くぐらいだろう。そうはいっても、九割はスタッフたちが我先にと上手に肉を焼いていたのだけれども。それに、だいたいが日中に行っていた。
 だから、美鶴は月が昇り始める夕方から夜にかけて行われる地域のバーベキュー大会に顔を出すことにしたのだ。彼女は自分が体験したことが無いものに対して、敬意と興味を持って参加したがるのだ。それは特に、こうして仁科と二人で一般社会に馴染むようになってから増えてきた。……社会に馴染めているかは別問題として。
 火で温められた網の上に肉を恐る恐る置いた美鶴に、商店街の子どもたちが声をかける。青果店・花咲屋の店主である花村(五十三歳)の孫だった。

「みつるねーちゃん、バーベキューはじめて?」
「いいえ? どうしてそう思ったの?」
「だって、うちのかーちゃんが揚げ物つくるときみたいな顔してたから!」

 かーちゃん、こうやって鍋のフタでガードしながら作るんだぜ? はねるのがこわいんだって!
 へへ、と母親が内緒にしたいだろうことを大きな声で言うものだから、こら、と一層大きな声で叱られる。ついでにげんこつも落とされた孫は、本当なのに……とちょっとしょぼくれた様子だった。花村の娘は恥ずかしそうにしながら、でも油が跳ねるの怖いじゃないですか、と美鶴に同意を求める。
 美鶴は自分から料理をしないが(料理をしようと思うと、なぜかすでに大部分が仁科の手によって処理されているのだ)油がぱちぱちと音をたてているのはちょっとだけ怖いな、と思っているので、怖いですよね、と彼女に頷く。でしょう、と彼女が我が意を得たと言わんばかりに頷くものだから、わたしは別に揚げ物つくることはないけど、とは言えない美鶴だった。
 仁科が油はねですか、と会話に加わる。珍しい、と美鶴が思っていると、花村の娘はそうなの、と仁科の大きな腕をぺちぺちと叩く。

「野菜とか揚げるとき、ぱちぱち! って跳ねるのがねえ。どうにも」
「……水気をしっかり切ると油はねは発生しにくくなります。サラダスピナーを利用するのが良いかと」
「サラダスピナー? なんだい、それ」
「あ、あれね? あの、お野菜をいれてくるくるって回して、お水を切ってくれる……」
「はい。遠心力で水分を切るので、サラダも水っぽくなりません。また、水分を減らせるので、揚げ物で油が跳ねるリスクが減少しますし、炒め物もおいしくなります」
「はー。そんなもんかい」
「私は利用したことはありませんが、同僚が袋麺を作る際に、湯切りにサラダスピナーを活用しているのも目撃したことがあります」
「でも、それって洗い物が増えるんじゃないのかい? 細かく分解するのは好きじゃないよ?」

 うーん、と難しい顔をする花村の娘に、仁科は焼けた肉と野菜を美鶴に取り分けながら返事をする。ふたりの会話を聞いていたらしい、ワンコインショップ桜崎店のオーナーである谷村が意外と楽だよ、と会話に加わってくる。
 
「ザルとボウル、フタで構成されていますので、洗い物は多くはありません」
「そうそう、仁科さんも言ってるけど、レタスチャーハンがべちゃべちゃにならなくて済むし、便利だよ! 花村さん」
「そうなのかい? そう言われちゃうと気になるねえ」
「たしか、ワンコインショップにも取り扱いがあったと記憶しています。谷村さん、いかがでしょうか」
「よく覚えてるね、仁科さん。ちなみに、ちょっと大きめなら、ワンコインショップなのに三百円のやつもあるよぉ」
「あれま、そんな安いのかい。明日にでも買おうかね」
「しっかり水を切ってあれば、シンプルに少量のごま油と醤油、刻んだのりで十分です。こちらのサラダを、美鶴様が好まれて食べられています」
「あら! それじゃあ試してみようかね」

 あたし、いつもドレッシングたっぷりかけちゃうんだよ。
 あはは、と大きな声で笑う花村の娘に、彼女の息子が、だから母ちゃん腹が出てるんだぜ、と一言余計なことを言う。うるさいねえ、と再びげんこつが落とされているのをみて、谷村さんが、でもしっかり水をきったサラダってシンプルに食べても飽きないんですよね、と笑う。

「醤油とごま油……ってことは、ちょっと中華風かな」
「はい」
「わたし、そこに少し白ごまが乗っているのが好きです」
「へえ! いいね……あー、サラダの話していたら、レタスチャーハン食べたくなってきたな……」

 家に帰ったら作ろうかな、ともごもごしている谷村を見た美鶴が、レタスチャーハン、と繰り返す。普通のチャーハンなんだけどね、と笑いながら谷村は言う。

「チャーハンはあまったものをまとめて使うのにちょうどよくてさ。まあ、食材をダメにしないように何でも突っ込んじゃうから、レタスチャーハンって言ってるけど、いろいろなものが入っているんですよね」
「じゃあ、チャーハンは家庭や食材の状態によっていろいろと違うんですか?」
「そうだねえ……僕はレタスとかタマネギとか……あ、ハムも刻んで入れちゃうな。卵は入れたり入れなかったりするけど。味付けは面倒だし練ってある中華スープの素だしね」
「あら、花村家はキムチを入れることが多いねえ。あとは焼き肉のタレ入れてみたりするよ」
「花村さんと谷村さんはそうなんですね。田島家は白だしをいれることがありますよ」

 桜崎グランフォレストタワーに住んでいる田島夫人(四十二歳)も話に加わる。彼女の白だしチャーハンは花村も谷村も聞いたことがなかったのか、おもしろい、と言いながら聞いている。仁科さんたちは、とたずねられて、美鶴は思い出そうとする。たしか、じゃこと青じそのチャーハンと、アボカドのチャーハンが出てきたことがあったはずだ。どちらも、仁科とふたりで生活をするようになってから、彼が作ってくれたものだ。

「じゃこと……青じそのチャーハンと……あ、あとアボカドのチャーハンがあったわよね、貴臣さん」
「はい。どちらも調理しました。アボカドは加熱調理の最後に軽く混ぜるのがおすすめです」
「アボカドチャーハンは聞いたことが無いなぁ……でも、女の子ってアボカド大体好きなイメージあるなあ」
「アボカドねえ。そんなアレンジがあるのは初めて聞いたよ。仁科さん、何でも知っているねえ」
「今度試してみようかしら。娘、アボカドが美容にイイって知ってから、よく食べるようになったもの」

 三者三様の表情で受け入れつつ、田島にしれっと少し先の海外食材を多く取り扱っているスーパーがアボカドが安い、と教える花村。花村さんのところでも仕入れてよ、と田島が笑うと、近いうちにね、と彼女はたっぷりとした腹を揺らして笑うのだった。

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