神鳥美鶴には兄が三人いる。二十歳年上の長兄・崇征(たかゆき)と十六歳年上の双子の次兄・陽雅(はるまさ)と三兄・湊雅(みなまさ)だ。美鶴が物心つく頃には成人していた彼らは、程よい距離感を持ちながらも年の離れた妹を可愛がっていた。もっとも、程よい距離感だと考えていたのは家族内だけで、スタッフたちからは過保護と言われてきたのだが。そもそも、家族全員が美鶴に対して過保護で甘やかせるところは甘やかしてきたのだが。
崇征は幼い美鶴が「きょうね、みつる、しずかに、ほんをよむの」と言っただけで、即座にすべての会議を中止させたことがある。
陽雅は幼い美鶴の予防接種の際に、痛みを感じにくい注射針の使用を徹底させ、それでも「痛かったね……ごめんね……」と隣で泣きながら彼女に謝罪をしていた。(美鶴は予防接種の痛みはなかったので、兄が痛いのだと勘違いして彼の頭を撫でていた)
湊雅は幼い美鶴の表情別機嫌の良し悪しを判断できるAIを開発し、彼女が常にどんな気持ちや、疲れを感じているのかを把握することにつとめていた。
スタッフたちは振り回されつつも、「まあ、うちの姫様はかわいいから仕方ないな」で許していたので、上司の対応に非難の声が上がらなかったのも問題だったかもしれない。
……閑話休題。
そんな彼らにも妻はいる。崇征には十五歳ほど年下の妻が、陽雅と湊雅には五歳年下の妻がいる。
崇征の妻・華音(かのん)は美鶴にどことなく似た、穏やかでのんびりした性格の大和撫子だ。縁談での付き合いだったが、最初は年の差から破談しようとしていた崇征と華音だったが、彼に一目惚れしてしまった華音の根気強いラブレター(お見合い後、隔週に一度送られてきた。百通はあると崇征は言っている)たちに根負けした崇征が、十六通目で返事を出したのは家族の中では笑い話である。
陽雅と湊雅の妻・紫月(しづき)は物静かで常識的な考えの持ち主だが、いかんせん見た目が破天荒だ。綺麗にブリーチされた真っ白い髪は腰まである。両耳にはこれでもかとピアスが開けられており、舌にもへそにも空いている。両腕には和彫りの蛇が巻き付き、色鮮やかな大輪の牡丹の花が咲き乱れているし、背中一面にドクロが彫り込まれている。
破天荒な外見の彼女の口から出る、実に建設的で理性的な発言に惚れ込んだ陽雅と湊雅は、ふたりそろってアプローチをした。最初こそ嫌がっていた紫月だったが、熱烈なアプローチの末に根負けしたかたちで婚約した。
書類上、彼女は陽雅の妻ということになっているが、事実上は一妻多夫だ。陽雅と湊雅が同じ熱量でアプローチしてきたのもあるが、どちらかを選べと言われたから両方を選んだのは紫月である。これにはさすがの神鳥家も驚いたが、このくらい豪胆な気質でなければ、あのふたりの妻にはなれないだろう、というのが祖父・統真の発言である。
そんな義理の姉たちも美鶴のことは気に入っており、業務の傍らお茶をしようという話が出るのはいつものことだ。今回は紫月が双子が持ち込んだ紅茶を飲み切りたい、という話になったので、本邸の敷地内にある陽雅と湊雅たちの私邸で行われることになった。非常勤の広報戦略室諮問監査官の紫月以外は、ちょっとした予定がそれぞれ(これでも美鶴も文化部門のトップであり、華音も法礼部門の礼式顧問補佐である)あったため、午後のおやつどきより少し遅れてのスタートだった。
「紫月お姉さまから紅茶って聞いたから、焼き菓子持ってきたの。あのね、パン屋さんの焼いてくれるマドレーヌ、素朴な味がしてわたし好きなの」
「あ、それって商店街の?」
「うん、前に華音お姉さまとデニッシュを食べた、あそこ」
「あのデニッシュもおいしかったなあ……ねえ、また遊びに行ってもいい?」
「うん、お待ちしてます」
「息子も連れていくね」
「わ、ひろくんもくるの? それじゃあ、たくさんお菓子用意しておかなきゃ」
きゃっきゃっとマドレーヌをつまみながら美鶴と華音が話していると、トレイにカップとティーポットを乗せた紫月がやってくる。
華音がぱっつんと切られた黒い前髪と、結い上げた長い黒髪に薄水色の麻の着物をきているのに対して、紫月は真っ白の腰まである長い髪をポニーテールでまとめて、白い半袖シャツに同系色のフレアスカートを合わせている。美鶴は和柄の模様が入った生成色のワンピースだ。三者三様に夏の装いをしているのを見かけた老庭師が、聖地はここにあったのか……と呟いた。
私邸の中庭のウッドデッキに、それぞれ椅子に腰を下ろしている。紫月がポットに注いだ温かな紅茶からは、ほのかにミントの清涼感のある香りがする。
「わ、ミントの茶葉ですか?」
「ええ。湊雅が用意したのですが、娘の口にはまだ早かったようで」
「たしかにそうかも……ミントは陽蓮(ひれん)ちゃんにはちょっと早いかも……」
「私もそう思います。涼しい味がするから、と買ってきたようなのですが、娘の口にあわない、と気がついたときの湊雅の凹みようは、なかなか凄まじいものがありましたね」
「紫月お姉さまがそういうってことは、本当に凹んだんだねえ……」
普段は軽口をたたき合う双子の兄だが、紫月の前では妙に頭のネジがぶっ飛んだ発言をすることが多い。妹と妻と娘を溺愛している二人を知っているから、美鶴はへこんだときの兄が面倒くさい事も知っていた。凄まじい、と言われるほどなのだから、よっぽどべっこべこにへこんだのだろう。
湊雅のへこみっぷりを思い出しているらしい紫月は、はあ、と面倒くさそうなため息をつく。それをふふふ、と笑いながら華音は、すっきりするお味だけどなあ、と楽しそうだ。
「でも、たしかにオトナの味って感じはあるかも。崇征さんとか好きだと思うけど」
「ああ、崇征さんこういうの好きそうですよね」
「うん。あ、でもフレーバーティーをそもそもそんなに飲まないから、ちょっと理想を語ってるところはあるけど」
「崇征お兄さまなら、華音お姉さまが出したもの、何でも飲むと思うけどなあ」
「そうかなあ……」
「崇征さんなら飲むと思いますよ」
「うんうん、わたしもそう思うな」
「ものは試しと言いますし、持って行きますか?」
「えっ」
楽しそうに紫月と美鶴がそういうものだから、華音はびっくりして目をぱちくりさせる。うんうん、と紫月と美鶴は頷きながら、オトナの味だもの、と言い合う。
そうかなあ、と少し不安そうな華音に、美鶴は大丈夫だよ、とその細い肩をぽんぽん、と軽く叩く。
「そうだよ、華音お姉さま。お兄さまと一緒に飲んだら、きっと楽しいと思うな」
「ティーパックひとつなら、失敗しても大丈夫かと」
「そ、そうかな……!? まあ、でも、わたしもお部屋で飲みたいし、ひとつ、もらおうかな……!」
「じゃあ、わたしも貴臣さんと飲みたいから、ひとつほしいな……」
「わかりました。持ってきますね」
立ち上がった紫月がティーパックをとりに部屋に戻ると、華音は乗せられた気がする、とむすっとしてみせるが、すぐに笑顔を見せる。崇征さんと明日のお茶の時に飲もうかな、と楽しそうにしている華音に、美鶴も明日わたしもそうしようかな、と頷く。薄水色の小さな神の包みを二つ持ってきた紫月は、楽しそうですね、と声をかける。
「美鶴ちゃんと明日さっそく飲もうって話をしてたの」
「わたしも貴臣さんといただきます」
「ノンカフェインだから、夜飲んでも大丈夫だと思いますが……まあ、紅茶はいつ飲んでもおいしいもの」
「ミントの紅茶なんて出したことないから、きっと貴臣さんびっくりしてくれるかなあ」
「してくれると思うなあ。わたしも崇征さんびっくりさせよ」
美鶴と華音はたのしそうに笑いながら、ちいさなカバンに紫月の持ってきた包みをいれる。それを見ながら紫月は、いただきます、と言って美鶴が持ってきたマドレーヌをつまむ。ふんわりと柔らかい食感、たっぷり使われているバターの香りが鼻に抜けていく。一口かじった紫月に、おいしいよね、と華音は声をかける。それに静かに頷いた紫月は、紅茶を飲んでから口を開く。
「おいしいですね。どちらのお店ですか」
「これ? これねえ、家の近くにある商店街のパン屋さん」
「ああ……あの商店街の」
「和菓子屋さんもおいしいよね。わたし、あそこの水まんじゅう好きなの」
「わたしもあの和菓子屋さん好きだよ。羊羹もおいしくてね、よく買って帰るの」
一口サイズの小さい羊羹がおいしくて、いろんな味の買っちゃうの。お値段も高くないの。
そう話す美鶴に、いろんな味があるんだあ、と食いつく華音。紫月は甘いものをそこまで食べない年頃であるのだが、一口サイズと聞いて、ずいっと身体を美鶴の方に向ける。紫月お姉さまも買いに行こうね、と美鶴がふわふわした笑顔で尋ねると、それなら近いうちに、と紫月は手帳を開く。彼女の手帳には、先までびっしりと予定が組まれている。
それなら、と手を軽く叩いて華音は提案する。自分が息子と一緒に遊びに行く日に紫月も一緒に行こう、と。
「あら、いいのですか」
「うん。わたし一人より、紫月ちゃんも一緒の方が、息子も喜ぶと思うの」
「そういうことなら、喜んで」
「じゃあ、いつにしよっか……えっと、手帳手帳……」
もそもそと小さなカバンから手帳を引っ張り出そうとする華音を見ながら、美鶴も愛用の手帳を開く。お互いにスケジュールを確認しながら、次のお茶会の日時を決めるのは楽しいものがあるのだ。