ラズベリーと、あなたのクレープ

 レースの日傘をさした美鶴は、あ、と声をあげる。半歩後ろを歩いていた仁科は、美鶴の視線が動いた瞬間には足を止めていた。
 彼女の視線の先には、キッチンカーが一台停まっていた。公園の入り口横に停まっているパステルイエローの車は、どうやらクレープ屋であるようだ。車の横に立てかけられた看板は、少し距離があるから細かい文字までは美鶴の目では読めなかった。仁科は把握していたが。
 昼食用の食材を商店街で買い集めたふたりだったが、思わぬ店にどうしよう、と悩む。悩んでいるのは美鶴一人だが。ちなみに、買い物した食材のほとんどを仁科のエコバッグ(A3ファイル二冊+二リットルペットボトル4本を縦積み可能な、バッグ本体の重さが六キロあるエコバッグだ。耐荷重は脅威の三百キロだが、これは布限界ではなく、床材の耐性の都合で制限している)に収納されている。ちなみに、美鶴は玉ねぎが四つばかり入った標準サイズのエコバッグ(仁科のものと色違いでおそろいのデザインだ。こちらは軽量で重さも耐荷重も仁科のものの五分の一ほどだが、仁科のエコバッグの圧に負けないように、近くに置いたときに自己膨張する機能が備わっている)を持っていた。美鶴はもっと持てる、と言い張ったが仁科が持たせたのはこれだけだった。彼は存外に美鶴に対して過保護である。
 美鶴は、ちら、と仁科を見上げて、ね、と小さく声をかける。
 
「貴臣さん、クレープ屋さんのキッチンカーが来てる」
「そうですね」
「……お昼前だけど、食べたら、だめ、かな……」
「昼食の量を調整しましょう」
「本当? いいの?」
「美鶴様が食べたい、という気持ちを優先したいのが私の優先事項ですので」
「ふふ、貴臣さんったら、本当にわたしを甘やかすのが上手なんだもの」
 
 そんなに甘やかされたら、わたし太っちゃうなあ。
 くふくふ笑う美鶴に、仁科は思わずまじまじと彼女を頭の先から足の先まで見る。後頭部でお団子にされた、艶やかで天使の輪っかすら見えるキューティクルが整った黒髪を持つ小さな頭、細いうなじ。白いワンピースから覗く筋肉も脂肪も薄い腕と足。ほっそりとしたその足先にある、黒いサンダルを履いた爪の先も、テレビや雑誌に出ている女優も真っ青なほど、ほっそりとしている。美鶴は全体的に白すぎて、細すぎるのだ。
 太っちゃう、と困ったように笑う美鶴だが、彼女の体重は背丈に合わず軽く、仁科は時折抱き上げるたびにもう少し体重を増やしたいと思っていた。そんなことなど一切表情に出さず、仁科は嫌なら辞めますか、と尋ねながら、クレープ屋に向かいかけた足の向きを変える。すると慌てたように美鶴は仁科の腕を引く。
 
「た、食べるよ……!?」
「冗談です」
「んもう……本当に慌てたんだから」
「失礼しました」
「もう……貴臣さんのクレープ、二口もらうんだからね。貴臣さんには、その、一口しかあげないんだからね」
「はい、承知しました」
 
 頬を膨らませて怒る美鶴は、そのまま仁科の太く逞しい腕を引いてクレープのキッチンカーに向かって歩き出した。仁科はそんなちょっとした嫌がらせを受けても、なんとも思っておらず、彼女の好みに合わせてクレープを選択するだけなのだが。
 美鶴は公園のほうへと仁科を連れて歩く。通りを横切ってキッチンカーの横にある看板を見る。定番のメニューから、おかず系のメニューまで幅広い。しかし、今日も快晴で、湿度はないが気温が高い。チョコレート系のものを頼む元気はなくて、美鶴はさっぱりとしていそうなメニューをいくつかピックアップする。

「貴臣さん、ラズベリーといちご、どっちが食べたい?」
「美鶴様はどちらが食べたいですか」
「え? んん……そうだなぁ……わたしはラズベリーかなぁ」
「では、いちごです」
「それじゃあ、貴臣さん、わたしが食べたいものを、貴臣さんが選んでくれたことになるじゃない。ね、貴臣さんはなにが食べたいの?」
「いちごです」

 同じ回答が戻ってきて、美鶴はむう、と頬を膨らませる。こうなると、彼女の家族もそうなのだが、仁科はテコでも意見を変えることがないのだ。
 
「もう……本当にわたしを甘やかすんだから……」
「恐縮です」
「褒めてないよ、もう……」

 ぷすっ、と頬を膨らまして呆れた美鶴は、すぐに表情を戻して店主にイチゴとラズベリーのクレープをひとつずつ注文する。代金を受け取った店主は、慣れた手つきで焼き上がっているクレープ生地にホイップクリームを乗せて、ベリーのソースをかけていく。くるくる、とまかれたそれを美鶴が受け取ると、すぐにもう一枚のクレープ生地に、半分にスライスされたいちごの果肉を乗せて、いちごのソースをかけていく。ふたつめのクレープを受け取った美鶴は、いちごのクレープを仁科に渡す。
 お礼を言ってキッチンカーから離れたふたりは、公園の中にあるベンチに腰を下ろそうとする。美鶴が腰を下ろす前に、仁科がエコバッグを地面に下ろして、ジャケットのポケットから大判のハンカチを取り出す。そのハンカチを美鶴が腰を下ろそうとした場所に敷くと、美鶴はありがとう、といってハンカチの上に腰を下ろす。持っていたエコバッグを彼女も地面におろすと、はむ、とクレープにかじりつく。甘酸っぱいソースと、ほんのり甘いホイップクリームが絶妙な調和をもたらしてくる。
 おいしい、と満足そうに呟いた彼女に、仁科はそっと膝をついて、自分の分のクレープを差し出す。仁科はベンチに座るつもりはないらしい。彼の体重や、座った時の加重に野晒しのベンチが耐えきれない可能性を考えてのことだろう。屋内のソファーですら、リラックスして座ることができるのは、神鳥家のスタッフが設計開発したものぐらいなのだ。
 差し出されたクレープを一口齧った美鶴は、いちごもおいしいね、と微笑む。一口美鶴が齧ったのに、自分の分を食べようとしない仁科に、美鶴は不思議そうな顔をする。あなたが言いましたから、と仁科が言うものだから、え、と美鶴はますます不思議な顔をする。

「私のクレープを二口食べると、先ほど仰られましたので、どうぞ召し上がってください」
「あ……あれ、本気にしたの……?」
「美鶴様は軽すぎるので、少しずつ体重を増やす練習になると思いましたので」
「そうかなぁ……そんなに軽いかなぁ……」
「はい、とても軽いです。さあ、もう一口」
「むむ……それじゃあ、もう一口だけ……」

 はむ、と美鶴は仁科の差し出したままのいちごのクレープにもう一度かぶりつく。さきほどより、気持ち大きく開いた口の中いっぱいにいちごの果肉特有の酸味と、ソースの甘さ、ホイップクリームのなめらかさが混じり合う。もぐもぐと咀嚼している美鶴を確認してから、仁科は差し出していたクレープに齧り付く。
 美鶴と同じくらい静かなのに、美鶴よりもずっと大きな一口はクレープをあっという間に食べていく。口の端にソースもクリームもつけずに食べ終わった仁科と、美鶴もすこしだけ遅れて食べ終わる。ふたりはクレープのゴミを手にして立ち上がる。仁科が大判のハンカチを畳んでジャケットのポケットにしまっている間に、美鶴は自分のエコバッグを持ち上げる。
 仁科も自分のエコバッグを持ち上げ、クレープ屋のある入り口にふたりで向かう。キッチンカー隣に用意されたゴミ箱に、クレープの包み紙を捨てると、ふたりはゆっくりとマンションに向かって歩いて行った。

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