美鶴は一日の疲れを癒すために入浴していた。規格外に大柄な仁科と入っても大丈夫な強度の浴槽と、保温と滑り止めの加工がされた床は、二人がびたびたに体や髪を濡らしても問題なかった。肩甲骨ほどまで伸びた髪をシャンプーで洗い流し、トリートメントを軽くつける。トリートメントが馴染むまでの間、体をボディーソープで洗う。上から下までしっかり丁寧に洗ってしまうのは、風呂上がりに好きな人と過ごすからだろうか。
ほのかに甘いミルクの匂いがするボディーソープを洗い流し、美鶴は足先から湯船に浸かる。乳白色の入浴剤をいれた湯船は、ほのかに甘い香りがする。花の香りかなあ、と美鶴は顔にお湯をかけながら考える。鼻先までお湯に浸かり、すぐに冷える指先を温める。ぷくぷく、と息を湯の中で吐き出しながら、美鶴はゆっくりと十数える。
ゆっくりと十数えてから、しずかに湯船からあがる。髪の毛をふわふわのタオルで包み、水気を切る。バスタオルで体の水気を拭いながら、美鶴は下着を身につける。白いワンポイントでレースやフリルがあしらわれたそれは、美鶴がお気に入りのデザインのひとつだ。ふわふわもふもふのベビーピンクのうさみみパジャマを着る前に、美鶴はスキンケアのローションを手にとる。とろみのある液体を顔に塗り、体に塗る。肘や膝など、乾燥しやすい場所には少し多めに。その後、ミルクタイプの乳液を重ねてつける。
ほんのりとラベンダー香料のそれを塗ってから、美鶴はヘアケアをしようと思って、軽量設計のドライヤー(仁科の握力には耐えられないので、美鶴専用のものだ)とヘアミルクを手にとる。ちょうどその時だった。仁科がタオルとパジャマを持って脱衣所に来たのだ。仁科は着替えやタオルを棚に置いてから、失礼しました、と脱衣所を後にしようとする。その彼を呼び止めて、美鶴は持っていたヘアミルクのボトルを仁科に渡す。
「えへへ……お願い、してもいい?」
「……承知しました」
美鶴の手から渡された、小さな小瓶を受け取る仁科。壊れ物を扱うように――実際、仁科の力の前では、大半のものが壊れるものなのだが、慎重にボトルをプッシュする。二度ほどボトルを軽く押して、仁科の人一倍大きな手のひらに乳白色のヘアミルクが乗る。仁科がボトルを慎重に美鶴に渡すと、彼女はにこにことヘアケアセットの中にしまっていく。ついでに美鶴専用のドライヤーも片付ける。このドライヤーは仁科の力に耐えられないからだ。仁科の力に耐えられるドライヤーは、どうしても美鶴には重すぎるのだ。
仁科が丁寧に自分の両手にミルクを広げ、美鶴の肩甲骨まである髪をとる。根元につけないように気をつけながら、中間から毛先に向かって伸ばしていく。髪の表と裏に塗り残しがないように丁寧に塗り広げていく。余った分で前髪を丁寧にケアする。その間も、美鶴は機嫌良さそうにしている。
仁科が丁寧にヘアミルクを塗布し終えると、彼は自分用に設計されたドライヤーを手に取る。中程度の温度に設定すると、ドライヤーを少しはなして髪に温風を当てる。大風量の風に、黒くて艶やかな髪が靡く。根元からしっかり乾くように、仁科は手櫛で梳きながら、同じ場所を続けて乾かしすぎないように気をつける。仁科の大きな片手で掴めるぐらい小さな美鶴の頭を、大切な宝物にふれるように優しい手つきで乾かしていく。
冷風で仕上げて、艶のある髪ができあがる。ドライヤーを止めた仁科は、終わりました、と美鶴に声をかける。コンセントを抜いたドライヤーを仁科が片付けていると、美鶴が自分の髪をふわふわと触る。さらさらの手触りで、心なしいつもより綺麗な気がする。満足した美鶴は、にこにこの笑顔で仁科に振り返る。
「ありがとう、貴臣さん。いつもよりさらさらかも」
「礼には及びません。いつも美鶴様はお綺麗です」
「えへへ、そう? そうなら嬉しいなぁ」
「はい、いつもお綺麗です。……それと、お身体を冷やします」
「……あっ」
下着一枚で髪を乾かしてもらっていたことに、今更ながら気がついた美鶴は頬を赤く染める。スキンケアのあと、寝巻きが濡れるのが嫌で、髪を乾かすまで寝巻きを着ない癖がある美鶴だが、それはそうとして彼女は体が弱い。温度調整がされている脱衣所だとはいえ、長時間裸でいるのは問題だ。仁科は彼女にパジャマを渡して着替えるように促す。
仁科としては、風邪を引いたら本人もつらいだろう、と思ってのことだったが、美鶴は違った。彼女としては好きな人に裸を見られたことが恥ずかしかった。お気に入りの下着だが、もう結構長いこと着ているものだから、ちょっと草臥れてしまっているのも、恥ずかしさに拍車をかけていた。仁科がいつもの無表情を崩さなかったのも、さらに恥ずかしかった。彼がそっぽを少しでも向いてくれれば、もう少し恥ずかしさもマシだったかもしれない。
ふわふわもこもこのパジャマを受け取り、もそもそと美鶴は服を着る。肌はすっかり乾いてしまっていて、服の布地でくすぐったさすら感じる。上も下もちゃんとパジャマを着たことを確認した仁科は、ひとつ頷くと美鶴の耳元で囁く。
「常温の水を用意してあります。寒いようでしたら、ホットミルクをご用意しますが」
「う、ううん。大丈夫。お水、ありがとうね」
「礼には及びません」
「でも、嬉しいから」
のぼせないように気をつけてね、と美鶴は屈んでいた仁科の目尻に触れるだけの軽いキスを落とす。美鶴本人の頬がさまざまな感情で赤く染まって、彼女は足早に脱衣所を後にする。残された仁科は、屈んでいた体を持ち上げる。着ていたシャツを脱ぎ、スラックスを脱ぐ。どすっ、と鈍い音を立てて床に落とされた衣類を拾い上げ、彼は専用の洗濯ネットに美鶴の衣類が入っていることを確認してから、自分の衣類を洗濯機に入れる。
美鶴の衣類と仁科の衣類は材質が違いすぎるのだ。それでも一緒に洗濯したいという美鶴の願いを叶えようと、開発チームは必死に頑張った。仁科の専用衣類のために開発された洗浄剤を、美鶴の衣類にも対応させるために分子レベルで改造し、それでいて仁科の衣類を洗浄し、彼の衣類の構造を整え直す(特殊な三層構造で成立している布地であるため、着用後は毎回洗浄剤と柔軟剤の二段階で整え直す必要があるのだ)作用も持っている。美鶴の衣類を洗いすぎない洗浄力の強さで、仁科専用の布地に対応することには、血涙と血尿が出そうなほどの努力があったのだが――それは別の話である。
「……入浴するか」
仁科は隆々とした筋肉を曝け出して、浴室に入る。シャワーのコックを捻ってお湯を出す。頭から湯をかぶりながら、頭皮をマッサージする。しばらく予洗いをしていた彼は、一度お湯を止める。自身のために配合されたシャンプーを取り、ボトルのノズルを一度押す。十分量出た液体を軽く泡立ててから頭に乗せる。
無言で目をつぶって頭を洗っていた仁科だったが、ふいと目を開けておもむろに自身の股間に視線を落とす。そこには当然のことながら、自らの半身が存在する。人並みの愚息を二回りほど縦にも横にも大きくした彼のご子息は、先ほど目尻に美鶴がキスをしたことで、ちょっとばかり元気になっていた。
「……」
はあ、とため息をひとつついて、仁科はシャワーのお湯でシャンプーを洗い流す。体を洗ったついでに処理をするか、と考えた仁科は、いつもの冷却ルーチンを少し長めに取る必要があると計算し直す。一緒の布団でずっと焦がれていた女性と眠るのに、手を出さずに理性的であるためには、頭を物理的に冷やすのは効果的だった。